63年続いてきた那覇市の農連市場。再開発に向け、仮設店舗に移動する店が目につくようになった秋の日の早朝に訪れた。
 時間は午前5時。
 朝ごはんを食べるには少し早いが、せっかく農連市場に来たことだし、何か食べたい。総菜や弁当を売っている店も多いけれど、昔ながらの食堂に入ってみたい。現代っ子の僕はスマホで「農連 食堂」と検索した。
 グルメサイトでヒットした数件の口コミを読み比べていると、味に加え、「優しいおばぁの話が止まらない」との店主への書き込みがあった。
 そんなおばぁの話、ぜひとも聞いてみたい! と即決した。

仮設店舗が建設される前の花城食堂。商品を並べる人々の姿が見られた=2015年8月撮影

ワンコインで食べられるメニューばかりで、財布にも優しい

沖縄の“みそ汁”はメーンのおかずのような存在感がある

花城さんが大事にしているお客さんからのお礼の手紙

趣味はカラオケ。チャリティーショーでの衣装は手作りだ

再開発に向け、花城食堂(右奥)の隣には仮設店舗(手前)が建設されていた=2015年12月

仮設店舗が建設される前の花城食堂。商品を並べる人々の姿が見られた=2015年8月撮影 ワンコインで食べられるメニューばかりで、財布にも優しい 沖縄の“みそ汁”はメーンのおかずのような存在感がある 花城さんが大事にしているお客さんからのお礼の手紙 趣味はカラオケ。チャリティーショーでの衣装は手作りだ 再開発に向け、花城食堂(右奥)の隣には仮設店舗(手前)が建設されていた=2015年12月

 それが花城食堂だった。
 花城食堂は農連市場の一角にある。鮮やかなオレンジ色の看板が目を引く26年続く食堂だ。
 僕が店のドアを開けると突然、「麺がまだ届いてないから、ごはん類にしてね~」と店主の花城百子さん(75)に“宣言”され、僕は戸惑った。
 メニューを見る前に注文内容を限定されるなんて、なかなか経験したことがない。
 もしかしたら、他にも注文できないメニューがあるのだろうか?
 ここは、店主の作りやすいメニューを頼むのが良いのだろうか?
 「朝は“みそ汁”が良いよ」
 案の定というか、すぐに勧められた。
 郷には入れば郷に従えだ。 「お願いします」 
 ちなみに、後日食べに行った時は「あいっ、今日はごはん類はできないよ!」と言われた。
 日によって、準備できるメニューが変わるようだ。
 5坪ほどの食堂内は、モヤシの入った大きなバケツが置いてある厨房と4人ほどが座れるテーブルがある。
 僕は店で一人、「みそ汁」を作る花城さんの身の上話を聞いた。

 花城さんは5歳の時、沖縄戦に巻き込まれた。父は戦場で亡くなった。幼かった花城さんは父の顔をはっきり覚えていない。
 終戦後は住む所もなく、小学生のころから製塩の仕事をし、必死に働いた。
 製塩は、まいた砂に海水をかけ、自然に乾かしてはろ過を繰り返し、鍋で煮だす。花城さんは、毎日のように小さな手でスコップを持ち、砂をすくっては、まいた。
 中学に上がると、製塩に加えて子守りも仕事として引き受けるようになった。
 「おかげで体も丈夫になったさ」と花城さんは笑い飛ばす。
 しかし、働いても働いても生活は苦しかった。
 野菜は母の知り合いに譲ってもらい、海に行っては魚や貝を採ってきた。学校で勉強したくても紙が無く、米軍の使い終わった紙の裏に字を書いた。
 そんな生活を経て、なんとか中学を卒業したものの、学問を続けることはかなわなかった。だからこそ、「人ができないことをやろう」と思って生きてきた。

 ようやくみそ汁が出てきた。
 みその味が濃く、ご飯ととても合う。それぞれの具に味がしみ込んでいる。
 それにしても、沖縄の“みそ汁”はボリュームたっぷり。
 おなかがすいていた僕には非常にありがたかった。 一方で、花城さんの話は止まらない。  話の内容が興味深く、なかなか食べ進めることができずにいた。

 花城さんは25歳の時、建築会社を経営する男性と結婚した。
 夫の兄弟の嫁たちがみんな「学問」をしていたことが、花城さんをさらに奮い立たせた。
 「結婚するまで料理をしたことがなかったさ。でも、他の嫁に負けないように、料理も裁縫も勉強した。編み物は割り箸で編んだりしたよ」
 結婚してからは那覇市内で高校生向けの食堂をオープンした。経験はなかったが、試行錯誤しながらも食堂の経営は軌道に乗った。 一方、夫の会社は傾き始めていた。那覇市の与儀公園周辺や本部町の海洋博公園の工事に関わっていたものの、夫が知人に多額のお金を貸してしまったことと海洋博不況が重なり、資金繰りは苦しくなっていった。そして倒産した。
 「知り合いに貸していたお金は不渡り手形になってしまった。借金もできて、家も店もなくなってしまった」
 その後、夫は内地に出稼ぎに行った。
 花城さんは沖縄に残って子育てをしながら、新たに食堂の仕事を探した。
 偶然、見つけた場所が、農連市場の近くにある那覇市開南の食堂だった。
 たくさんの人が押し寄せ、1日に15万円も売り上げる人気店。
 働いているうちに「自分でもう一度、お店をやりたい。たくさんの人に、おいしい料理を食べてほしい」と思うようになった。