沖縄にとっての激動の1年が過ぎようとしている。ことしはよく沖縄に足を運んだ。そこで見た風景の意味を自分なりに考えてみた。

米軍キャンプ・シュワブのゲート前に座り込む市民らを排除する機動隊員=12月18日、名護市辺野古

 11月13日に、パリで凄惨(せいさん)な同時テロ事件が発生した時、僕ら日本人の多くは、なにゆえにこのような理不尽な暴力が、一見平和に見える文明国フランスの「花の都」パリの街中で振るわれなければならないのかと、怒り、悲しみ、嘆き、同情の思いを共有した。僕はパリという街が大好きな人間のひとりだ。平和に生きる権利は誰もが生来持っていなければならない権利だったはずだ。それが一方的に踏みにじられたときの怒りは自然なものだろう。

 けれども、その前日にレバノンの首都ベイルートで起きた連続自爆テロ事件で、45人の死者とおよそ240人の負傷者が出た時、僕らはそれをほとんど知らなかった(気にかけなかった)ばかりか、パリの時に世界中から表明された「われら皆フランス人」といった思いと共通していいはずの「われら皆レバノン人」といった連帯の弔意は、想像力の外にあった。そのことをどう考えるか。

 命の重さに違いがあるのだろうか? それとも圧倒的な情報の非対称ゆえの扱いの違いなのか? 文明国のテロ被害は共感を呼び、戦時国、戦時近隣国のテロ被害は日常的なものとして処理されることの本質的な不条理に、僕らはどう向き合ったらいいのだろうか。実は、同じようなことが僕らの国の中でも起こっていないか。

 暴力と書くと彼らは反発するかもしれない。ではこのように書くとどうだ。「圧倒的な不可抗力をともなう物理的なチカラ」が眼前で行使されている。それを多くの人々は見て見ぬふりをしている。名護市の辺野古で起きていることを言っているのだ。東京の多くのマスメディアはなかなかそんなことを取材しに行かない。お金がかかることに加え、そもそもそのような事態が想像力の外にもはや押し出されてしまっているのだ。「沖縄の基地反対運動でしょ。またやってるんでしょ。僕らにはあんまり関係ないっすよ」。

 本紙・沖縄タイムスをはじめとする地元紙は精力的に現地の模様を取材し続けているが、本来このような状況をつぶさに取材していなければならないはずの地元放送局の一部までがどこか「及び腰」になっていることはないだろうか。

 11月23日、24日、25日とキャンプ・シュワブのゲート前と辺野古の海上を取材した。陸上ではなぜか東京の警視庁の機動隊員が警備にあたっていた。沖縄県警からの応援要請があったのだという。県警本部長は県警の警察官の警備の何が不満で応援要請をしたのだろうか? 座り込みや抗議行動を続けているおじいやおばあを含む人々に対して、孫みたいな年齢の屈強の機動隊員が、まるで「粗大荷物」を搬送するように生きた生身の人間の強制排除を行っていた。

 僕らは少し離れた位置からカメラマンと共にその模様を凝視していた。彼らはマスメディアにカメラで撮影されていても平気でどんどん排除を続行していた。いや、彼ら自身も排除の模様を小型ビデオカメラで自ら撮影していた。警備はきわめて機械的に情け容赦なく遂行されていた。僕は見ていて何だか吐き気に近い不快感に見舞われた。ひょっとして近い将来、こうした警備にはロボットが導入されるのではないかと、とんでもないことまで考えた。

 機動隊員らの宿泊している場所は、辺野古から近距離にある高級リゾートホテルの敷地内だ。情報提供してくれた地元の人の話では、ホテル敷地内の企業の社員研修施設に泊まっているのだという。機動隊員に届けられる弁当が作られている場所まで教えてくれた。

 警視庁機動隊員らは、毎朝そのホテルの敷地内からまずキャンプ・シュワブ基地内に「出勤」する。そこから「現場」に出動する。合法的とされる物理的なチカラの行使。その究極的な形が戦争である。戦争では人を殺しても訴追されない。だが、そこで行われていることは、現象的には「人殺し」である。

 戦後、僕らの国は憲法9条を保持し、戦争を放棄した。考えてもみようではないか。国の礎たる憲法が蹂躙(じゅうりん)され「戦争をしない国」から「戦争のできる国」へと国のありようが大きく変えられようとした年が今年2015年だったのではないか。その年に沖縄で見えている風景は何かの前触れのような気がしてならない。

 座り込みやデモによる非暴力直接行動が社会を大きく前進させたことがいくつかの国の歴史には刻まれている。アメリカの公民権運動の歴史の中で、今からちょうど50年前の1965年3月の「セルマの行進」もそのひとつだ。

 黒人差別に対する運動=公民権運動で、アラバマ州セルマを出発した平和的なデモ隊に対して、州警察がこん棒や催涙ガス、鞭(むち)などで「圧倒的な不可抗力をともなう物理的なチカラ」を無抵抗のデモ参加者に対して行使し、多数の負傷者を出した。多くの人々がこの「チカラの行使」に怒りを抱いた。以降、公民権運動は全米規模で大きな広がりをみせた。このデモ行進がなかったならば、オバマが大統領に選ばれることはなかったかもしれない。

 インドのマハトマ・ガンディー率いるインド独立運動のなかでも、多くの座り込み抗議(Sit‐in)が行われ、それを警官隊が「圧倒的な不可抗力をともなう物理的なチカラ」を行使して強制排除するなかで多数の負傷者が出た。この非暴力直接行動の歴史は、インドの国立ガンディー博物館に行けば、その展示が見られる。独立が勝ち取られ、反カースト制運動や女性教育権の獲得などインド社会に大きな変革をもたらしたのは、座り込みによる非暴力直接行動だった。

 沖縄の人々のアイデンティティーを希求する動きは、そうした世界史のなかでしっかりとした位置付けをなされる日が来るに違いない。そう、僕は思っている。もうすぐ2016年がやってくる。(2015年12月24日付沖縄タイムス文化面から転載)