人権問題の本質は、集団の大多数にとっては害がないが、少数派にとっては耐えがたい苦痛をもたらすことにある。米軍基地の集中は、まさに典型的な人権問題だ。沖縄県民に重大な負担をもたらす一方で、本土の人々は基地負担なしに安全保障を享受する。少数派の苦痛を多数派に理解させるのは困難だ。

 ところで、「教育」の名の下に見過ごされがちだが、学校では人権問題がしばしば生じている。この連載でも、違法PTAや組体操の問題を扱ってきた。今回は、小学校で実施が増えている「2分の1成人式」を考えたい。

 この行事は、成人年齢の半分たる10歳のお祝いとして行われる。生まれた時から今に至るまでの写真の披露、名前の由来の発表、親への手紙の朗読などがプログラムに組み込まれることが多い。感動して泣く親も多く、参加者の満足度が非常に高い行事としても知られる。

 2分の1成人式の特徴は、家庭環境が細かく公表されるところにある。確かに、愛らしい写真がたくさんあり、泣いて感謝をしたいくらいにすてきな親の下で育った児童とその両親にとっては、泣くほど感動的な行事だろう。そして、たいていの場合、そうした児童や両親が学校の多数派を占めている.

■学校の強制誤り

 しかし、内田良先生(名古屋大学)が指摘するように、学校に通う児童の家庭環境は多様だ。中には、虐待に悩む子、両親の離婚や死を経験した子、里子である子など、家庭の状況を学校で公表することに著しい苦痛を感じる子も確実に存在する。
 もちろん、そうした家庭環境はその子の人生の一部であり、現実と向き合って成長せねばならない。しかし、だからといって、その公開を学校が強制するのは誤りだ。深い友情や愛情が形成されたときにはじめて、自らの意思で特定の相手に伝えるべきことだろう。センシティブ情報の強制的・一般的な開示は、その人が自らの意思で人間関係を築く自由、あるいは、一定以上の関係を持ちたくない人と関係しない自由を奪ってしまうのだ。

■プライバシー権

 憲法や民法は、このような人間関係形成の自由を保障するため、個人情報をコントロールする権利、いわゆるプライバシー権を保護していると解されている。センシティブ情報の開示に無神経な2分の1成人式は、この権利を侵害している可能性が高い。

 10歳のお祝いは、家庭環境に関する情報を開示せずともできるはずだ。将来の夢を発表したり、特技を披露したり、いくらでも方法はある。そもそも、学校でやらずとも、各家庭がそれぞれの方法で祝えば十分ではないか。

 こうした主張に対しては、反論もあろう。「私は」家庭事情の公表を苦痛に感じない、多くの人は感動しているのに水を差すな、嫌なら休めばいい、などの反論だ。しかし、苦痛を感じないのは「あなたの」価値観にすぎず、現に傷つく人の痛みを無視してよいことにはならない。また、多くの人の感動は、人権侵害をしてよい理由にはならない。さらに、家庭環境を理由とした学校からの排除が許されるはずはない。

 人権は、少数派の耐え難い苦痛を救うためにこそある。それを思い出してほしい。(首都大学東京准教授、憲法学者)(記事と写真の転載、複写を固く禁じます)

※「木村草太の憲法の新手(しんて)」は、本紙第1・3日曜日に掲載。