名護市辺野古のキャンプシュワブ・ゲート前の「辺野古新基地建設阻止」のための簡易テント村に、昨夏(2014年)から通い続けている。だから、ここにしばしば明るい「祝祭空間」が生まれることを、わたしは知っている。

ライブの始まりの瞬間から、「加藤登紀子+古謝美佐子+山城博治」トリオの心はひとつになって、ゲート前テント村に温かいムードを生み出していた

ゲート前テント村に集まった人たちは加藤登紀子さん、古謝美佐子さんらと心通わせ、本当に生き生きとした優しい笑顔を見せていた

古謝美佐子さんが「島々美(かい)しゃ」を歌ったとき、美佐子さんの求めに応じて「返し」を務めたのは、安保関連法に反対するママの会の城間真弓さんだった

古謝美佐子さんのスピーチが終わり、加藤登紀子さんが到着したとき、「こんなに嬉しいことはありませんっ」と山城博治さんの音頭でいきなりカチャーシーが始まった

「童神」を二人で歌う

自ら作詞した「沖縄の未来(みち)は沖縄が拓く」を渾身の力で熱唱する山城博治さん。加藤さん、古謝さんも歌詞カードを手に合唱

連日ゲート前に座り込みに参加している島袋文子さん。古謝美佐子さんの歌に手拍子をしているところ。右奥に糸数慶子参院議員と、語りと歌を披露した音楽家の海勢頭豊さんの姿も

街宣車が通過したとき、加藤登紀子さんはジョン・レノンの「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を歌って皆を励ました

テントにいるみんなで「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を合唱した

ライブの始まりの瞬間から、「加藤登紀子+古謝美佐子+山城博治」トリオの心はひとつになって、ゲート前テント村に温かいムードを生み出していた ゲート前テント村に集まった人たちは加藤登紀子さん、古謝美佐子さんらと心通わせ、本当に生き生きとした優しい笑顔を見せていた 古謝美佐子さんが「島々美(かい)しゃ」を歌ったとき、美佐子さんの求めに応じて「返し」を務めたのは、安保関連法に反対するママの会の城間真弓さんだった 古謝美佐子さんのスピーチが終わり、加藤登紀子さんが到着したとき、「こんなに嬉しいことはありませんっ」と山城博治さんの音頭でいきなりカチャーシーが始まった 「童神」を二人で歌う 自ら作詞した「沖縄の未来(みち)は沖縄が拓く」を渾身の力で熱唱する山城博治さん。加藤さん、古謝さんも歌詞カードを手に合唱 連日ゲート前に座り込みに参加している島袋文子さん。古謝美佐子さんの歌に手拍子をしているところ。右奥に糸数慶子参院議員と、語りと歌を披露した音楽家の海勢頭豊さんの姿も 街宣車が通過したとき、加藤登紀子さんはジョン・レノンの「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を歌って皆を励ました テントにいるみんなで「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を合唱した

 論理の欠落したまま沖縄に理不尽な仕打ちを続ける安倍政権の狂信的支持者たちが、「ゲート前には反日サヨクの恐ろしい人間が集まっている」「ヤツらは日当をもらって座り込んでいる」などというデマを、どんなに躍起になって流そうとも、実際のゲート前には、そう言う彼らには決して真似のできない、うしろめたさのない誇りに満ちた笑顔を輝かせることのできる、心優しき人たちが集う。

 あの凄惨な沖縄戦の痛みを忘れず、日本から切り離された米軍圧政下の苦しみを忘れず、さらに遡って琉球処分や薩摩侵攻で傷つけられた祖先の尊厳をも忘れず、今も変わらぬ「軍事植民地状態」に異議を申し立て、このところ剥き出しになっている権力の凶暴性には非暴力で毅然と立ち向かい、座り込む。

 同時にスピーチや歌によって、愛と慈しみに満ちた魂の表現ができる。辺野古ゲート前は、そういう人たちが集う場所。わたしは昨夏以来この場所へ通い続けながら、そのことを肌で理解してきた。

 有名無名を問わず、様々な人生を生きてきた人たちが、辺野古新基地建設阻止のために立ち上がった自らの思いを語り、現政権への怒りをストレートにぶつけ、互いに学び合い、歌をうたい、ともに舞い踊る。

 終戦直後、凄惨な沖縄戦で大切な家族を失い、自らの命は助かったものの意気消沈してしまった人々の家々を回って、「ヌチヌグスージサビラ(命のお祝いをしましょう)」「生き残った者が助かった命のお祝いをして元気を取り戻さないと、亡くなった人たちも浮かばれない」と言って、歌や漫談で人々を笑顔にさせた、あの小那覇舞天の魂も、今ここで一緒に踊っているのではないかと思わせるような「祝祭空間」。この場に立ち会うたび、安倍政権の狂った所業の連続に怒り心頭のわたしも、心を慰められ、元気を与えられてきた。

 その日(11月29日)にも、飛び切り上質の「祝祭空間」がゲート前に生まれた。

 午後1時頃に加藤登紀子、古謝美佐子という二人の一流歌手がゲート前に現れるらしい、もしかしたら歌をうたってくれるかもしれない、という情報が口コミやSNSを通じてすでに伝わっていた。

 だから、いつもと違ってこの日のゲート前には、どこかそわそわと落ち着かぬムードも漂っていた。

 まず現れたのは、米軍基地の街・嘉手納で生まれ育った古謝美佐子さんだった。

 ミスターゲート前こと山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)の紹介を受けてマイクを握った彼女は、人気稼業の歌手という職業に就きながらも、なぜ明確に「辺野古に新しい基地を造らせてはいけない」と表明するようになったかを、誠実に語った。

 美佐子さんは、こんなふうに語り始めた。

 「(政府が)理不尽なことばかりやるので、テレビのニュースを見ては、いつも辺野古のことを思いだしていたんです。椅子ごと持っていかれるところを見て、涙が出ていたんですよ」

 そう涙声で話しながら、眼前に座る辺野古住民の島袋文子さん(86歳)と目を合わせ、笑顔を交わしている。

 つまり朝のゲート前で、新基地建設強行の工事車両を止めようと座り込む文子さんが、機動隊員に「ごぼう抜き」されるニュース映像を最近も見て、涙を流していたというのである。足の具合の悪い文子さんは、ゲート前に座り込むとき折り畳み椅子を利用することが多く、機動隊はその椅子ごと文子さんを排除するのだ。

 古謝美佐子さんは続けて、嘉手納で育った子供の頃の思い出を語った。

 物心ついたころから米軍基地フェンスを前にして育ち、B52が機体後部を周辺の集落に向けてエンジン調整をするので、その爆音が凄まじく、家族の会話もままならなかったことも、「だから大きな声を出せる人になりました」とジョークでくるんで伝えて、笑わせる。

 それから、米軍基地内ではダイオキシンなど毒性のある薬品が土中に埋められたり、無造作に捨てられているという話。基地から井戸にオイルが流れ込み発火して大騒ぎになった話。あるいは北部地域の基地や訓練場からダムなどに有害物質が流れ込んでいる恐れがあるといった話。

 そして最近、知り合いの若者から「僕らはアメリカが嫌いじゃないんだよ。基地に反対反対するのは(反対ばかり言うのは)どうかな、と思うんだよ。どうなんだろうね、古謝さん」と聞かれた話。

 美佐子さんはこう答えたという。

 「それは間違っているよ。誰もアメリカ人が嫌いだとは言ってないよ。わたしだってアメリカ人の知り合い、友だちがいっぱいいるよ。だけどね、アメリカ軍にモラルがないこと、わたしたちに基地の中で何をやっているか少しも知らされないことが問題なんだよ」

 すると若者は「そこまでは考えてなかった」と考え直してくれる様子だったという。

 美佐子さんは一例として、人間にとっていちばん大切な「水」が米軍によって汚染されることは許されないと若者に強調して伝え、この日ゲート前に集った人たちにも、真摯に語りかけた。

 「若い子たちには、なぜ米軍基地に反対するかを一つずつやさしく伝えていきたいな、と思います」と話し、大きな拍手を受けた。

  それから美佐子さんはさらに深く踏み込んで、自らの姿勢を明らかにした。

 札束で頬を張るような政府の住民懐柔策への憤りや、懐柔されてしまう人が一部にいることへの悲しさを語り、決して沖縄がその方向へ向かわないように頑張りたいと述べた。

 「日本国のなかで沖縄県民はわずかしかいません。大きな日本国政府と闘うには、沖縄を愛する人たちといろいろ一緒にやっていきたいと思います。ハワイにも琉球アイデンティティーを大切にして頑張っている人たちがいます。その人たちともつながりができたので、来年はハワイでも歌をうたうと思います。今日ここに来るお登紀さんもそうですが、本当に沖縄を愛している人じゃないと一緒にはできませんからね。わたしはコンサートのときも、辺野古のこと、戦争のことを、織り込んで話しています」

 「そうすると、音楽仲間からは、後ろから刃で刺されたりします(笑)。でも刺されようがピストルで撃たれようが(=どんなに妨害を受けようが、の意)、わたしはやれることはやって死にたい。わたし、孫たちからはミーコって呼ばれているんですが、『ミーコは生きてるとき、歌ばかりうたって、沖縄のこと、何もやってないんだよなぁ』と言われたくないので、皆さんと一緒に頑張らせてください」

 拍手喝采がひと際大きくなったことは言うまでもない。昨年、米軍ヘリパッド建設強行に反対する「高江座り込み7周年報告会」が東村で開かれたとき、同じように「一緒に頑張らせてください。また呼んでください」と表明し、喝采を浴びていた美佐子さんの姿が脳裡によみがえった。

 山城博治さんが美佐子さんからマイクを受け取り、しみじみと感想を述べたところで、加藤登紀子さんが到着した。