1990年代は、地元の若い世代による沖縄再発見の動きで幕を開ける。音楽、映画、テレビ、そして出版の分野で、次々と新しい世代が台頭し、沖縄の生活文化をポップな視点で問い直す活動が目立った。「青い空と青い海だけじゃない沖縄」を見つけだそうとする新しいローカルな視点は、一方で1992年の復帰20周年、首里城公園の復元を頂点とする「日本になった沖縄」の行方とクロスして、独特の沖縄ポップ・サブカルチャーの潮流を生み出していく。その動きは日本本土にも伝わり、一部で「沖縄病患者」と呼ばれる新しい沖縄フリークたちを生み出した。地元発信の「沖縄は面白い」という視点は、この頃から中央の出版社による「沖縄を面白おかしく紹介する本」の刊行へとつながってゆく。1990年創立のボーダーインクの一連の出版物は、こうした流れをはからずもつくり出していた。

けーし風

8万5千人が結集した県民総決起大会の大田昌秀知事(当時)

神々の古層

アコークロー

けーし風 EDGE 8万5千人が結集した県民総決起大会の大田昌秀知事(当時) 神々の古層 アコークロー

 長年沖縄の文化・政治状況をリードしてきた『新沖縄文学』の休刊(1993年)はひとつの節目と言える。一方で市民運動オピニオン誌『けーし風』、ディープでアートなマガジン『EDGE』の登場や、さらに就職情報誌やサブカルチャー系マガジンの刊行も相次いだ。沖縄を総合的に語るのではなく、より各論的に、そして個人的に表現する90年代的傾向は、これまでの研究者・専門家とは異なった多彩な書き手を生むことになった。こうした県産本の多角化・多層化は、沖縄の書店の「郷土・沖縄本コーナー」のありようにも影響を及ぼす。こうした出版状況を背景にして1994年、県内版元の若手編集者が集まり「沖縄県産本ネットワーク」が結成された。

 戦後50年の節目である1995年に起こった米兵による少女暴行事件は、復帰後も続く沖縄差別の構図を露呈させ、日米両政府に対する沖縄県民の怒りはさまざまな立場を超えて燃え上がった。そのうねりは、8万5000人が集まった抗議県民大会、大田昌秀知事の代理署名拒否、全国初の県民投票とつながる復帰後最大の大衆運動となった。しかし県民の「異議申し立て」の動きは、96年の大田知事の公告縦覧代行受諾、1998年の稲嶺保守県政の誕生により、普天間飛行場代替施設となった辺野古沖への新基地建設問題へと変質していくことになる。

 基地問題の大きなうねりは、それに応える形で多くの出版需要をもたらした。復帰20年のブームの際にはほとんど反応しなかった県産本だが、ここではしっかりとこれまでの蓄積を見せてきた。当時刊行された本の特徴としては三つある。一つめが、地道に反戦・反基地活動に取り組んできた人々を取り上げた本。二つめが地位協定や裁判所での証言を注釈つきで掲載する資料本、そして三つめが、『基地沖縄 異議申し立て』(琉球新報社)などのように、情報の多面性と蓄積度において卓抜する地元新聞の記事を再編集した本である。これと対照的に、県外の大手出版社では当時、基地問題に関する本はほとんど出版されなかった。問題が問題なだけに一般受けを狙うことはできなかったことが理由だが、それがかえって沖縄県産本の特徴を際立たせたということになる。

 これは非常に残念なことだが、当時沖縄で刊行された基地問題関連本の多くは、現在でも「基本文献」として読むことができる。こうした出来事や問題が過去のものとして読めるようになってほしい。あのころ出版した側はそう思っていたはずだ。

●「琉球の風」は県産本には吹かなかった

 復帰20年の翌年、初めて沖縄を題材に製作されたNHK大河ドラマ「琉球の風」は、当時の沖縄ブームを象徴するものであった。国立公園として復元・リニューアルされた首里城は、名実ともに沖縄観光のメッカとなった。こうした「琉球の風」ブームを受けて、中央の出版社は続々と琉球・沖縄関連本を出版してゆくのだが、しかし当の沖縄県内の出版社では「琉球の風」に便乗した本はほとんど刊行していない。復帰20年の時も同様に関連書はほとんど出していないのだが、どうやら沖縄県産本は、ブームを見込んだ企画を立てるということに色気がなく、ブームに惑わされない、郷土に根ざした企画を進める傾向にあったといえよう。その一方で、観光ガイドブックや雑誌の特集などにおいて、沖縄の書き手らが、県外の読者に向けて沖縄を紹介する企画はどんどん行われていった。そうしたことを伏流にしながら、のちに中央の出版社は県外の沖縄ファンだけではなく、沖縄の読者に向けて沖縄の本を作り始めるようになっていく。追い風だったはずの「琉球の風」が、やがて県産本にとっての向かい風になっていったのである。