今回も引き続いて沖縄県産本ネットワーク作成の「沖縄県産本のあゆみ」を出典に紹介していく本稿であるが、今回は1980年代の沖縄の出版事情を概観していきたい(なお本稿の出典については第1回の冒頭に詳述しているのでご参照ください)。復帰後、急速に「本土化」していく沖縄において県産本はどのような変化をしてゆくのか、その変化は、現在にまで何をもたらしているのか。

沖縄大百科事典

おきなわJOHO

コミックおきなわ

ひるぎ社の書籍と電子書籍

沖縄大百科事典 おきなわJOHO コミックおきなわ ひるぎ社の書籍と電子書籍

 1970年代後半から80年代の沖縄は、日本復帰やナナサンマル、海邦国体に象徴されるような政治上のイベントがほぼ終了し、同時に基地問題の硬直化、保守県政の全盛もあいまって、政治的な関心が急激に薄らいでいった。相反するように本土との格差是正の掛け声のもと、経済振興開発計画を柱に生活の豊かさを求めて邁進していくようになる。出版業界においても、専業出版社の充実に伴って、それまでのアカデミックな書籍、沖縄戦・歴史・政治をものした書籍に限らず、園芸や自然関係、写真集、料理、芸能、風俗など、より多岐にわたり生活に密着した分野が支持を獲得していくようになる。価値観の変化を背景にユタや祭祀などの伝統的慣習に現代的な光を当てながら論ずるような出版物が社会的反響を巻き起こしたのもこの時代である。

 豊かになりゆく生活を反映して、この時代では自分史・私家版の書籍発行・自費出版が活況を呈するようになった。こうした動きに敏感に反応した文進印刷ではいち早く「自分史センター」を立ち上げ、自分史の発行を一般の県民に広く呼びかけるとともに、本作りマニュアルやそれを手助けするライターを提供していった。これは今日まで続く沖縄の自分史ブームの源流と言えるだろう。また沖縄タイムス社は1980年に「沖縄タイムス出版文化賞」を設立している。戦後初期の沖縄出版界を名実ともにリードした同社が専業出版社の充実度ならびに文化的貢献を顕彰することの意義とともに、同賞は現在まで継続されている。

 しかし、1980年代においての特筆すべき事柄といえば、『沖縄大百科事典』と『おきなわキーワードコラムブック』に行き着いてゆく。前者は沖縄に関する17000を超える事象・用語について各分野の専門家が解説した事典で、上・中・下・別冊1巻の全4巻、沖縄タイムス社が1983年に満を持して刊行した。偶然か必然か、同じ事典形式をとった『おきなわキーワードコラムブック』が沖縄出版から刊行されたのは1989年。若者たちが同時代的な沖縄を活写したこのショートコラム集は、キーワードの立て方や文章のクオリティーも相まって社会現象ともいえる大ヒットを巻き起こした。同書が生み出した、沖縄をポップに描写するというスタイルは太い水脈となって以後も続いていき、現在でもさまざまな分野にそのフォロワーを見ることができる。

●『沖縄大百科事典』歴史的な一大プロジェクト

 沖縄の日本復帰から11年目にあたる1983年、沖縄タイムス社創刊35周年記念事業として刊行された。制作期間は約3年、収録項目1万7011、総索引項目30万6018、写真・図版関係4547点、執筆者は1046人にも上るというまさに一大プロジェクトだった。定価5万5千円で3万セットを売り上げたが、その9割は予約販売だったというからいかに待望されていたか分かるだろう(ちなみに予約では特価4万円)。琉球弧全域の歴史・文化・政治・経済・生活習俗のほとんど全分野を収録しており、沖縄研究の道しるべが本書によってできたと言っても過言ではなく、さらにそれまで地道に続けられてきた沖縄学の成果を大衆が活用できるようになったことにおいても重要な転轍点と言える。

 当時は全国各地で新聞社を中心とした百科事典づくりが流行していたが、その分量と内容の充実度において同書は他地域を圧倒しており、沖縄事典では現在に至るまでこれを超えるものは登場していない。また、30人以上もいたという編集スタッフはその後、地域史協議会や出版社に活躍の場を移しており、沖縄研究そして出版の質向上へも多大な貢献を果たしたと言えよう。『沖縄大百科事典』へのこうした評価の高さはおのずと改訂版刊行への期待へつながるのだが、1990年代以降、商業出版でこうしたプロジェクト的な事業はほとんど姿を消してしまい、改訂版は残念なことに実現されていない。

●若者向け雑誌の先駆け『おきなわJOHO』『コミックおきなわ』

 沖縄での若者向け雑誌の先駆けとなったのが『おきなわJOHO』である。全国のタウン情報誌発刊ブームに乗るかっこうで、1984年に創刊準備号が、同年12月25日には創刊号が出された。当初はA5判サイズだったが、1990年12月号でB5判に、最終的にはAB判となった。当時は沖縄から刊行される若者向けの雑誌が存在せず刊行直後からたちまちブームになるとともに、名物編集長をはじめとして、カメラマンやライターなどといった人材を多数輩出したことも特筆すべきだろう。しかしながら2000年代後半から顕著になった雑誌の売れ行き不振には抗えず、2011年3月号をもって休刊となった。

 一方の『コミックおきなわ』は1987年4月創刊、当時も今においてもローカル月刊漫画雑誌は全国的にも珍しく、沖縄にも多彩な漫画家が存在することを高らかに証明した存在である。しかしながら売上が常に好調だったとはいえず、1989年の第24号以降の隔月刊化を経て、1990年には休刊した。だが約3年間でローカル漫画誌としては異例ともいえる30冊を発行し、誌面では新人募集を意欲的に行って漫画家の登竜門的存在にもなったこと、さらに現在でも『コミックおきなわ』を引き継ぐ媒体や人脈が活動の場をインターネット上に移しながら継続していることを鑑みると、同誌が沖縄の漫画界に果たしてきた役割は非常に大きいと言えるだろう。1999年には別冊として『コミックおきなわ同窓会スペシャル』が発行されている。

●ひるぎ社「おきなわ文庫」シリーズ

 印刷会社が、印刷を請け負った書籍・雑誌の発行所(出版元)を兼ねている例は少なくないが、沖縄県内で最大の業績を残した企業が南西印刷であり、その出版部がひるぎ社である。印刷部門の創業は1954年、1980年8月に創刊された隔月刊誌『地域と文化』を皮切りに編集・出版部門が本格的に立ち上がる。その代表者である西平守栄が「企業利益の社会還元」というモットーのもとに1982年5月にスタートしたのが〈おきなわ文庫〉シリーズだ。ハンディな新書判で価格は1,000円未満―。この基本路線を崩さずに出し続けること14年、同シリーズは1996年8月発行の大城學『沖縄新民謡の系譜』で通算78冊に達した。
 その年末に南西印刷は残念ながら閉業したが、翌年には富川益郎が代表者となって「(新)ひるぎ社」を立ち上げ、シリーズの79冊目以降を引き継いでゆく。以後、2001年10月発行の秋坂真史『沖縄長寿学序説』をもって刊行点数は93冊を数えるなど、沖縄の出版界においてはまさしく超別格の叢書であり、20刷を数える高良倉吉『おきなわ歴史物語』をはじめとするロングセラーも多い。同社の出版物はこのシリーズ以外にも多岐にわたるが、ひるぎ社といえばおきなわ文庫、という条件反射にも似た印象を万人が抱いているのは間違いのないところだろう。このおきなわ文庫はのちに、県外からやってきた編集者・秋山夏樹の精力的な活動によって電子書籍化を果たしている。

【この時代のおもな書籍】

■『トートーメー考―女が継いでなぜ悪い―』(琉球新報社編、琉球新報社、1980)
 男系の長男相続を厳守することで根付いている沖縄の位牌(トートーメー)継承の慣習が、核家族の増加などで維持しにくくなったという現実に着目した一冊。きっかけは1980年1月1日から始まった『琉球新報』の連載記事である。多くの人が不合理と感じながらも公の場で議論ができなかったこの「トートーメー」問題について取り上げたキャンペーン記事は連載開始と同時に大反響を巻き起こし、特に女性側からの訴えは人権にかかわる深刻な指摘が多かったこともあり、直後から婦団協、弁護士会などが運動を展開、沖縄における女性問題、人権問題を考える上での嚆矢となった。本書はこの連載記事と反響をまとめたものである。

■『なぜユタを信じるか―その実証的研究―』(友寄隆静著、月刊沖縄社、1981)
 かつてユタ亡国論が叫ばれ、封建時代から戦前にかけて、たびたび弾圧されたユタ(霊的職能者)。当たることもあるから熱烈なファンもいれば、一方では金儲け主義の偽ユタに引っかかって身を滅ぼす者も少なくない。この「ユタ国」の実情を、クリスチャンである著者が体当たりでレポートして考察した本。クリスチャンとはいえトートーメーやマブイグミといった習俗にどっぷり浸かって育った著者だからこそ、冷ややかな研究者の目で見るのではなく、理解しようとする暖かい眼差しに満ちている。沖縄のタブーにあえて踏み込んだ初の試みがセンセーショナルな反響を呼び、初版1万部を1カ月であっという間に売り切った。

■『青い目が見た大琉球』(ラブ=オーシュリ・上原正稔編著 照屋義彦監修、ニライ社、1987)
 19世紀半ばに琉球を訪れた西洋人の紀行文では、バジル・ホール『大琉球島航海記』、『ペリー提督遠征記』が有名であるが、それらの本に収められた当時の琉球風俗のスケッチが愉(たの)しいことを知る人は多いだろう。その興味を思い切って広げ、62点の文献と著者のコレクションから384点の絵画資料をそろえて編集した本である。アメリカ人が風景をスケッチしている傍らで琉球人が野次馬になっているユーモラスなシーンがあったり、さまざまなな海賊版も同時にとりあげたり、ウィットに富んだ著者の解説が随所にちりばめられていたりと、読者を飽きさせない編集の手腕も見どころである。高価本ながら1年で6000部が売れた。

■『歩く・みる・考える沖縄』(高教組南部支部平和教育委員会編、沖縄時事出版、1986)
 1980年代、修学旅行に沖縄を指名する高校が増え始めていたが、その狙いは「青い海・青い空」の観光コースとしての沖縄ではなく、戦争と平和を考えるための戦跡地としての沖縄であった。しかし、当時の観光ガイドたちが沖縄戦の実相を伝えるには不十分との懸念をもった高教組南部支部平和教育委員会は、平和ガイドの養成と平和学習の実践的課題に答えるべく本書の出版に踏み切った。出し入れが容易なバインダー形式の体裁を採用し、イラストマップや路線バスの運行図を取り入れ、一人でも戦跡を訪れることができるよう工夫を凝らす一方、あくまでも住民の沖縄戦を追体験するということを主眼に編集されたユニークな出版物である。

【本稿の出典:「沖縄県産本のあゆみ」(C)沖縄県産本ネットワーク】