前回、前々回と、沖縄戦後から復帰前までの出版状況を取り上げてきたが、今回も引き続いて沖縄県産本ネットワーク作成の「沖縄県産本のあゆみ」を出典に紹介していく(なお本稿の出典については第1回の冒頭に詳述しているのでご参照ください)。 

1971年初版の「カラー沖縄の歴史」の表紙(左)と同編者による「琉球王国の歴史」

月刊「青い海」10周年を特集した沖縄タイムス紙面(1981年5月8日付)

「青い海」(上段)と「新沖縄文学」のバックナンバーの一部

1971年初版の「カラー沖縄の歴史」の表紙(左)と同編者による「琉球王国の歴史」 月刊「青い海」10周年を特集した沖縄タイムス紙面(1981年5月8日付) 「青い海」(上段)と「新沖縄文学」のバックナンバーの一部

 1970年代、沖縄は日本復帰を迎え、出版界にもまた大きな変化が訪れる。政治の季節から文化を享受する時代へと突入していくのである。 

 1969年の佐藤・ジョンソン会談での沖縄返還合意、71年の沖縄返還協定調印と、60年代後半から続いた熱い政治の季節は、70年安保改定、72年の日本復帰前後に頂点を迎えた。内外のマスコミの政治、経済、文化面の狂奔的ともいえる沖縄への関心の高さは、沖縄ブームの様相さえ呈し、政治の高まりに反応して沖縄関係図書の刊行も徐々に増え始めた。その傾向は70年代にも引き継がれ、75年沖縄国際海洋博覧会前後における出版物の激増は前代未聞の動向となった。そして、その内容も必ずしも政治状況を論じた図書ばかりではなく、沖縄を深く理解するために歴史、民俗、文学など多彩で本格的な図書が刊行され続けたのである。しかもそれに拍車をかけたのは地元の出版社ではなく、本土の大手出版社であった。71~72年の間に沖縄関係図書の発刊点数では本土側が地元を追い抜く現象さえ見せ始める。本土の出版物の過熱流通時代に沖縄の出版界もさらされることとなったのである。 

 また、この時期、復帰を境に渡航が容易になったことから各分野における人の動き(文化人・学者・研究者の現地調査など)も活発化し、県内の出版業界にも少なからぬ影響を与えた。 

 この頃の県産本の特色として、『カラー沖縄の歴史』(月刊沖縄社)や『カラー沖縄の植物』(新星図書)のように紙面にカラーを取り入れてビジュアル化をはかることによって、平易で楽しませる内容の書籍や、大部、大型化して造本の良い高価本を訪問販売で売り歩く方式が県民に広く受け入れられたことが挙げられる。

 さらにもう一つ重要な流れは71年4月、月刊誌『青い海』が大阪で創刊されたことであろう。毎号特集を組み、時事問題から、芸能、歴史、風俗など多岐にわたって琉球弧に横たわるテーマを大衆的視点で論じつづけ、耳目を引き付けてはなさなかった。

 70年後半に入ると、「沖縄県地域誌協議会」が発足(78年)、市町村誌の編纂に新たな方針を確立し、今日まで続く編纂事業に多大な貢献を果たしている。

●『カラー沖縄の歴史』大ヒット

1971年7月に発刊された月刊沖縄社の『カラー沖縄の歴史』は、カラー版と銘打った県産本の先駆けとなった。そのきっかけは、雑誌『月刊沖縄』に連載していた挿絵入りの歴史物語「カラー沖縄の歴史」の評判が上々だったことから、一冊にまとめて出版したものである。当時を振り返って佐久田繁社長は「思い切って初版一万を出したら、なんと二ヶ月で売り切れバカ当たりです。雑誌なんてバカバカしくなって、それでやめちゃった」(『青い海』100号)と本筋の『月刊沖縄』の廃刊の理由も含めて述べている。佐久田氏の鼻息が荒くなるのも当然で、復帰前まで青息吐息の状態だった月刊沖縄社にとってまさに起死回生の一打、会社は持ち直し、家族総出で台湾旅行に出かけられるまでに羽振りが良くなったのである。その後もこの本は売れ続け75年8月で15版に達している。勢いに乗って、『続カラー沖縄の歴史』ほか、次々とカラーシリーズが刊行され、いずれも評判を呼び、今日では沖縄の出版界にとってエポックメーキング的位置を占めている。

●ホットな“出版戦争”『これが沖縄戦だ』『日本最後の戦い』

 沖縄戦の犠牲者の33年忌の年にあたる1977年、行政、マスコミなどで沖縄戦の風化をくい止めようと証言記録の収集・発刊などが相次いだ。そんな折、同年3月28日から9月7日まで琉球新報紙上に連載された大田昌秀著『これが沖縄戦だ』は米国防総省撮影の沖縄戦関係の写真とともに連載中から大反響を呼び、終了を待って写真集として那覇出版社より刊行する予定になっていた。ところが8月、月刊沖縄社も沖縄戦の未公開写真を入手し、写真集『日本最後の戦い 上下』を近く刊行の予定との新聞報道が出る。あせった那覇出版社は刊行日の予定を繰り上げ、連載終了日の9月7日に発刊、デパートでの写真展と抱き合わせて即日発売と手はずを整えた。レイアウト・校正・印刷・製本を1ヵ月で行うハードな日程だ。連日徹夜が続き、500冊の製品ができあがったのは9月7日の早暁であった。相手より7日遅れの発売であった。2社とも発刊直後は、書店の担当者が現金を手に出版社に並び、本の奪い合いを演じるほどの盛況となった。連日再版して注文に間に合わせ、結局、両者合わせて10万部を売り尽くし、沖縄の出版の歴史の中で当時最大の売り上げ記録を作った。

●総合雑誌の代表格『青い海』『新沖縄文学』

 全国的に沖縄をめぐる論議が沸く復帰の前年、1971年に大阪で『青い海』は創刊された。最初は青少年向けだったのが一般向けになり、75年は発行所を沖縄に移して「沖縄の郷土月刊誌」を名乗った。時事問題などの硬派から芸能・観光・児童文学と多岐にわたった内容で幅広い読者を得た。

 『新沖縄文学』が創刊されたのは66年。誌名の通り文学雑誌であったが、70年の特集「反復帰論」(18号)あたりから総合雑誌への比重を強めていき、74年の26号からは文学と思想の総合誌を謳うようになった。その特集が「崩壊する沖縄」であったことは象徴的である。復帰という政治的達成はあったが、人々はそれによってもたらされた様々な事象に揺れていた。

 両誌をはじめとする当時の雑誌がそうした人々のニーズに応えていったのは疑いようがない。また広範囲・他分野の書き手を発掘し、沖縄の言論に大きな貢献をしたことも見逃してはならない。

【この時代のおもな書籍】

■『琉球の文化』(琉球文化社、1972)
 大城精徳氏を代表とする琉球文化社から刊行された季刊誌。B5判で200ページ余りのボリューム、沖縄の文化に関する特集記事のほか、さまざまな論文や写真を盛り込んだ意欲的な内容であったが、74年、5号で廃刊となった。

■新星図書出版の本
 新星図書出版は、70年代から80年初期にかけて忘れられない足跡を残した出版社である。カラー刷りで大型の上製本やセット本を続々と世に送りだした。斬新だったのは本の体裁ばかりではない。歴史・民俗・戦争といった従来の県産本のテーマとは異なる新たな分野を切り開いて見せた。特に『沖縄植物野外活用図鑑』(全11巻)、『カラー百科シリーズ〈沖縄の自然〉』(全10巻)、『沖縄有害生物図鑑』といった自然関係のベーシックで網羅的な内容のものに強みを発揮したほか、『石器時代の沖縄』『図説郷土のくらしと文化』(上・下)など社会学的な内容でも持ち前のビジュアルで上質な本作りが生かされている。また、高定価の大型本を大量に売る独自の訪問販売システムが効を奏して、一時は社員30名余を数えた。
【本稿の出典:「沖縄県産本のあゆみ」(C)沖縄県産本ネットワーク】