本稿は、2015年10月18日に那覇青年会議所(JC)の主催で開かれたパネルディスカッション「沖縄経済ミッション2015〜現状から考える沖縄の未来〜」における樋口の発言を加筆修正したものである。

シンポを伝える記事(沖縄タイムス社提供)

取り上げられたテーマは3つ。
1. 県内格差の問題について
2. 基地返還後の跡地利用について
3. 沖縄振興一括交付金の使い道について

 パネリストは元沖縄県副知事の上原良幸さん、経済博士で評論家の篠原章さん、沖縄国際大学教授の前泊博盛さんと樋口である。
1.県内格差の問題について
 沖縄で格差と貧困がなぜ生じているかについては、複雑な理由が存在するが、一口で言えば、沖縄の事業者に生産性を上げる力がないからだと思っている。こういうと、反論されるかも知れない。沖縄の自立経済を語る上で、私が多くの人と議論が噛み合わないのは、「生産性の定義」が大きく異なっているからだ。私が言う、生産性を上げるということの意味は、規制のない、補助金のない、参入障壁のない、独占形態のない自由市場で、体一つで、努力と、知恵と、経験と、チームワークで外貨を稼ぐという意味である。大変失礼ながら、その意味で、沖縄に実業はほとんど存在しないのではないかと思っている。

 もちろん沖縄に何がない、という話をしたいのではない。私たちの経済的自立を語る上で、何が自立かを定義し、そのためにどのような水準の変化が必要かを明らかにする必要があると思うのだ。

 実業の本質の一つはプロセス力である。プロセスはもっとも地味で、もっとも退屈で、もっとも努力が必要とされる。それゆえに、プロセス力は社会で最も軽視され、もっとも不足している。プロセスが自分の仕事だと認識している経営者は驚くほど少ない。

 アップルコンピューターを創業したスティーブ・ジョブズがプロセス力についてとてもわかりやすい説明をしている。ジョブズは30歳の時、自身が創業した会社をクビになり、ペプシコの経営者だったジョン・スカリーが彼の後を引き継いだ。ジョブズは後にインタビューに答えて次のように言っている。

 私がアップルを去った後、スカリーは深刻な病に侵された。同じ病気にかかった人を何人も見てきたが、彼らはアイディアを出せば作業の9割は完成だと考える。そして考えを伝えさえすれば、社員が具体化してくれると思い込む。


 しかし、凄いアイディアから優れた製品を生み出すには、大変な職人技の積み重ねが必要だ。それに製品に発展させる中でアイディアは変容し、成長する。細部を詰める過程で多くを学ぶし、妥協も必要になってくる。電子、プラスチック、ガラス、それぞれ不可能なことがある。工場やロボットもそうだ。だから製品をデザインするときには、5000のことを一度に考えることになる。大量のコンセプトを試行錯誤しながら組み換え、新たな方法で繋ぎ望みのものを生み出す。そして未知の発見や問題が現れるたびに、全体を組み直す。そういったプロセスがマジックを起こす。


 成功を信じて突き進むチームを見て思い出すのは、子どもの頃、近所に住んでいた老人のことだ。妻に先立たれた80代の男性で、見た目が少し怖かった。私は芝刈りのバイトかなにかで彼と知り合うようになった。ある時彼のガレージでモーターとコーヒー缶をバンドで繋げた古い研磨機を見せられた。それから裏庭に出て一緒に何の変哲もない石をたくさん集めた。彼は石を缶に入れ液体と砂粒を加えた。そしてモーターを動かすと、「明日また来い」という。缶は激しく音を立てていた。翌日彼を訪ね、缶を開けてみると、驚くほど美しく磨かれた石が出てきた。こすれ合うことで摩擦や騒音を生じながら、ありふれた石が美しく磨き上がる。私にとって、この体験こそが情熱を持って働くチームのインスピレーションになっている。ずば抜けた才能を持つものが集まって、ぶつかり合い、議論を戦わせ、喧嘩して怒鳴り散らす。そうやってお互いを磨き合い、アイディアを磨き上げて美しい石を創り出す。(「スティーブ・ジョブズ1995 ロスト・インタビュー」より)

 積み重ねられた努力とチームワークがあって、1万もの問題を乗り越える創意工夫があって、何回もの試行錯誤を重ねるプロセスがあって、生産性が生まれる。そのプロセス力が事業力の本質の一つである。

 先ほど会の冒頭でコーディネータの平良理事長が、この会の運営について樋口から「お叱りを受けた」とおっしゃっていたのにはいくつか背景があるのだが、たとえば、本会のチラシ、パンフレット上の私のプロフィールが「盛岡県」出身になっている。JCの問題を議論したいのではない。あくまでプロセスの問題として考えると、あれは、ゲラを一回注意深く校正すればいいだけの話なのだ。

 また、今回のシンポジウムは6つのテーマが設定されている。6つはそれぞれとても深いテーマで、その中には私がそれほど明るくない分野も含まれているから、自分の言葉に責任を持つためにも、事前にできるだけ調べたい。他の先生方もおそらく同じ感覚をお持ちではないだろうか。

 しかしこの会の進め方は、6つのテーマのうちから3つを当日来場者に選んでもらい、残りの3つを捨てるというのだ。私たちが発言の一つ一つに責任を持とうと思って調べようとするものに対して、3つしか取り上げられない。東京からいらっしゃっている先生をはじめ、みなさんご多忙の中で、そのような会の運営方法はどうなのだ、と私が文句を言ったのだ。「それは失礼じゃないのか」と。多少至らないことがあろうと突っ走る、若い人たちのパワーは良い。問題は、その後のプロセスである。私がこれを指摘したのは2日前である。運営側にとっては大問題であろう。実質的に「シンポジウムの基本的な枠組みを組み替えろ」と、間際になって樋口から指摘されたことになるからだ。

 ちょっとした危機対応である。臨時で理事会を開くなり、アイディアを根本的に練り直すなり、時間が限られている中で、理念との整合性を保ちながら、最小限の変更で最大限の効果を生み出すためになにをするべきか。たった二日間しかない中、すでに99%の構成と根回しが出来上がっているにもかかわらず、最後の1%の詰めに50%の労力を割く。そのために徹夜でもして、悪戦苦闘しながら、最後の最後まであきらめずに良いものを仕上げる。そのプロセス力が商品力の正体であり、経済の本質であり、事業力であり、自由市場における生産性の源なのだ。

 沖縄の未来の経済力とは、つまりJCのプロセス力である。30代以下の君たちが、自由市場において、このようなプロセスを通じて生産性を獲得しなければ、結局沖縄は誰かのお荷物にならざるを得ない。一方で、たとえば東京のビジネスパーソンたちは、このような危機的状況におかれると、何度も原稿を見直したり、最後に「組み替えろ」と誰かから重要な指摘をされたら、何日か徹夜をしてでも帳尻を合わせたり、最後の1%で最大の成果を上げる産みの苦しみを通じて、より良い商品を生み出し、顧客を獲得し、外貨を稼ぎ、彼らが稼いだ外貨の中から私たちは大量の補助金という形で補助を受け、沖縄経済圏では「盛岡県」というクオリティでも事業が成立している。

 日本政府は過去43年間「それでいい」と言っている。問題は、私たち沖縄はそれでいいのか?ということだろう。現実を直視して、私たちの事業力をもう一度問い直すべきではないだろうか? 自立経済を考えるということは、そういう意味ではないのだろうか?

 私がなぜJCに呼ばれたのかということをずっと考えていたのだが、せっかく頂いたこの貴重な機会に、若いみなさんに対して、こういう生意気なことを提案するのも一考だと思った。自由市場のもとで、自分の体一つで、沖縄県民のために外貨を稼いでくる。そういう事業をあなたたちは、今日、やっているだろうか? それは夜中の1時2時を過ぎても最後のゲラに細かく目を通すことであり、結果として「盛岡県」と書かないということであり、あるいは、遠方からいらっしゃる方の気持ちになって、思いやりを示して、それがどんなに間際であっても、絶望的に面倒に思えても、シンポジウムの構成を組み替えるということだ。

 私は経済は思いやりだと思っている。今日のシンポジウムのように、沖縄を大好きで、沖縄のためになろうとして本土から沖縄に来てくれる方々が、沖縄の事業家の思いやりとプロセス力に乏しい対応に接して、落胆して帰っていく。この繰り返しが本当に沖縄のためになるのだろうか? これまでと同じ水準の生産性で、今後沖縄経済は持続性を保つことができるのだろうか?

 覚悟を持って経営を見直し、真のプロセス力を身につけて、生産性を上げ、そこから従業員に給与を払う。生産性がなければ労働分配を増やすことは不可能である。そのようなプロセス力が貧困と格差の問題を解消するのだと思う。