過去の回で、「沖縄と本との関係は、いつでもすこし特殊だ」と書いたことがある。このことについて、沖縄で出版された本=県産本を例にとってみたい。とはいってもわたしがこうした事情に明るいというわけではない。わたしも所属している地元出版社の集まり「沖縄県産本ネットワーク」が2004年にまとめた「沖縄県産本のあゆみ」という素晴らしい資料があるのだ。戦後すぐから2000年代初頭までの県産本の歴史、時代ごとの本にまつわるトピックスが盛り込まれており、たいへん貴重な内容なのだが、印刷物にもなっておらず人目に触れる機会もほとんどないので、同ネットワークの許可をいただいて本欄で取り上げていくこととする。

 わたし自身も執筆に関わったものの、中心となって書いたのは諸先輩方であり、本稿はあくまで沖縄県産本ネットワークの取り組みの成果である。掲載にあたっては多少の訂正を加えている。

第6回沖縄県産本フェア=2003年10月11日、那覇市

月刊タイムス11月号(VOL10)

「鉄の暴風」初版本

1953年から78年に琉球大学文芸部(琉大文藝クラブ)が発刊した雑誌「琉大文学」

仲原善忠著「琉球の歴史」

第6回沖縄県産本フェア=2003年10月11日、那覇市 月刊タイムス11月号(VOL10) 「鉄の暴風」初版本 1953年から78年に琉球大学文芸部(琉大文藝クラブ)が発刊した雑誌「琉大文学」 仲原善忠著「琉球の歴史」

 豊富な知識で作成に取り組んだ諸先輩方、時代背景を俯瞰しながら資料の根幹をつくりあげた西里信人さんに敬意を表したい。

1、戦後県産本のうぶ声〜米軍政府の言論統制と最初の県産本〜
 1944年の十・十空襲、45年の地上戦と、戦火が島中をなめ尽くした結果、敗戦直後の沖縄の言論・出版状況はまさに廃墟からの出発と呼ぶにふさわしかった。沖縄戦では住居や畑、野原、人の命、あらゆるものが失われたが、出版に関わる物資も例外ではなく、印刷施設、機器、活字類は徹底的に破壊され、用紙は焼失し尽くしていた。

 捕虜収容所から解放された多くの住民にとっては日常生活における衣食住の確保こそ先決であり、活字によって自らの意見を述べるということは、身近な問題ではなかった。さらに1946年のGHQ覚書によって奄美を含めた南西諸島は日本本土から行政上切り離され、物資、人員の流通は厳しく制限されていたので、戦後数年は、印刷機器や図書を本土から輸入することもできなかった。米軍事政権の下、物資も情報も米軍の配給、払い下げによって飢えをしのぐ毎日が始まったのである。

 米軍政府の住民への言論・出版政策は絶えず抑圧的に進められた。すなわち軍布告8号によって占領から5年間、米軍は軍政府の許可を得ない一切の出版活動を禁止する。その後、49年特別布告32号において、沖縄側に許可権限を譲り渡したことになっているが、実質的には米民政府が最終決定権を握っていた。許可制(事前検閲)、回収などの言論統制の足かせはその後も15年あまり(1965年高等弁務官声明まで)に及ぶ。その間、政党の機関紙、大学生の同人誌、新聞などに記事削除を強要される事件や布令違反で軍事裁判にかけられるケースが相次いだ。

 沖縄本島で出版活動が活発になってくるのは、49年からである。この年、沖縄タイムス社が『月刊タイムス』を、うるま新報社(のちの琉球新報社)が『うるま春秋』を創刊している。52年には、情報の伝達を主眼とする書籍以外では初の単行本『鉄の暴風』(沖縄タイムス社刊)が刊行され、沖縄の出版界にとって記念碑的意味あいを担っている。