この夏、参院合区法が成立した。次の参議院選挙は、鳥取・島根と高知・徳島の4県2合区制の下で行われる。これまで約5倍あった投票価値の格差は、3倍程度に縮小することになる。格差の縮小は、もちろん喜ばしい。しかし、選挙制度の設計で考慮すべき要素は、投票価値のみではない。合区制が本当に望ましいのか、憲法に照らして検討してみたい。

 そもそも、なぜ投票価値の平等が要請されるのか。「人間は平等だから」というだけでは、観念的に過ぎる。もう少し掘り下げてみよう。

 まず、多数決の基礎には、「投票者の正答率が2分の1を超えている場合、投票者が多いほど、正しい結果が導きやすくなる」という、コンドルセの定理がある。要するに、誤った判断をする人がいても、他の人たちがその誤りを打ち消してくれる、という発想だ。

 もしも、「私に1億票、残りの国民に各1票の投票権を与える制度」にしてしまったら、私が勘違いしたときに、その誤りを打ち消すことができなくなってしまう。ここまで極端でないにしても、投票価値の不平等は、正しい結論を遠ざけてしまう。
 また、投票価値の格差が大きければ、国会議員たちは、高い投票価値の人々の意見を優先し、国会に多様な意見が届きにくくなる。そうなれば、国民全体にとっては望ましくない決定がなされる危険が高まり、意見を軽んじられた人々は、決定に正統性を感じにくくなる。

 以上の考察は、今回の立法に疑問を生じさせる。

 まず、多数決が正解を導きやすくするという観点からすれば、1票の格差はできる限りなくすべきであり、4倍はダメだが3倍未満なら良い、というものではない。民主党や公明党は、格差をより縮減する20県10合区案を提出したのに、国会は否決した。これでは、格差是正はポーズだけで、実際には、自分たちの勝手な都合で選挙区を設定したのではないか、との疑いが生じる。

 また、国会に多様な情報を届けるという点からすると、選挙制度の設計には、投票価値の平等だけではなく、「都道府県を単位とした意思決定の重要性」にも注意を払うべきではないかとの疑問がある。例えば、沖縄が九州のいずれかの県と合区されれば、米軍基地問題や島しょ部特有の問題は優先順位が下がり、国会に伝わる情報は少なくなる。

 沖縄ほどではないにしても、合区された4県にも、それぞれ固有の政治問題があるだろう。もちろん、全都道府県が合区になるなら、地域的な特性は選挙以外の方法でくみ取るという説明もできる。

 しかし、今回の法改正では、4県だけが県単位の意思決定を否定されるのだ。4県の人が、そこに不平等を感じたとしても、当然ではないだろうか。

 結局、4県2合区制度は、より良い選挙制度の設計方法として、合理的とは言い難い。自民党等が格差是正を隠れみのに、自分たちの都合で4県を犠牲にしたのだ、との疑念は払拭(ふっしょく)できないだろう。

 来年の参院選挙後、訴訟の場で法改正の合憲性が争われることになるだろう。裁判所は、「3倍未満にした努力」を評価するのではなく、ごまかしを非難すべきだ。

(首都大学東京准教授、憲法学者)(記事と写真の転載、複写を固く禁じます)

※「木村草太の憲法の新手(しんて)」は、本紙第1・3日曜日に掲載。