1990年代にアメリカ・サンフランシスコ市にある「CPMC」という病院の児童思春期クリニックに勤務したことがあるのですが、児童虐待介入を受けた子ども達の受診数の多さに驚いた記憶があります。


 例えば、当時10歳のタイソン君(仮名)は、学校や家庭で「キレる」「自傷行為が著しい」ということで、里親に連れられて相談に来ました。学校の先生がその様子をビデオで記録したものがあったのですが、尋常な怒り方ではなく、確かに「キレる」という表現がふさわしいものでした。彼はお母さんと二人の母子家庭でしたが、お母さんはヘロイン依存症のため養育ができない状況が続いていました。


 最終的に児童保護課によりお母さんから分離され、里親家族に措置されましたが、その後お母さんはアパートを失い、ホームレスになり、消息不明になってしまいました。タイソン君は薬物依存のために生活がうまくやれていないお母さんを補うような、しっかりした男の子でした。フードスタンプ(保護世帯が福祉局から給付される買い物クーポン)の管理をしたり、朝の支度をちゃんとしたりして、学校を休むことはまれでした。そんな彼が、キレたり自傷行為をしたりし始めたのは、里親家庭での生活がはじまって数カ月して、お母さんと音信不通になってしまってからのことでした。


 当時注目された “run away kids”(家出少年)の多くも、虐待介入の産物であるケースが少なくありません。彼らの多くは思春期に達した子ども達で、虐待介入後に措置された里親家族から逃げ出して、ストリートキッズになってしまい、青年後期・成人に達するとそのままホームレスになってしまうことが問題として取り上げられていました。ホームレス生活のなかで、薬物や性の問題、犯罪などさまざまな生活問題をともなっていくわけです。「単に親から分離するだけで十分ではない」「家族の力による修復が必要ではないだろうか」という議論がされていた時代でした。


 虐待介入の歴史は、「虐待する大人(多くは親)から離す」という方向ですすみながらも、ここに紹介したような「家族から離すことによる弊害」に遭遇することになります。その結果、アメリカでは“Family Reunion”、日本では「家族再統合」といわれる、「家族からなるべく分離することなく、家族の養育機能を改善していく・補填していく」という支援の方向性を模索するに至っています。


 「子どもが成長する前に早期に虐待介入すれば、介入の影響も少ないでしょう?」という意見もあるかもしれません。しかし実際には、介入の影響が少ないのは子どもがせいぜい生後数カ月くらいのもので、1、2歳からはその影響を避けるというのは難しくなります。そして何よりも、早期にキャッチできる虐待もあれば、そうでないケースもたくさんあるわけです。


 いずれにせよ、「家族を分離することなく(あるいは最小限にして)、家族の養育機能を高める」ための支援・介入というのは、家族(特に両親)のなかにキーパーソンになる人との関係の構築が必要になります。特に母親が「現状をどうにかしないといけない」という認識を持ち、キーパーソンとして機能してもらうことは、支援を組み立てる際の大きなポイントになるはずです。


 ところが、子どもへの虐待だけでなく、DV(ドメスティックバイオレンス)というもう一つの問題を抱えた時、支援・介入の困難さは増していきます。


 DVケースでの支援のひとつは、被害者(圧倒的に女性の場合が多い)を避難させることになります。まだまだ十分だとは言えませんが、被害者のためのシェルターや相談施設、相談員(ケースワーカー)、加害者に対する接近禁止の法制度が整備されて来ました。警察の協力もここ十数年で大きく変化してきたと思います。


 しかし、DVケースの特徴は、暴力行為が被害者から報告されていたり、時には暴力痕(写真)が存在していたりしたとしても、被害者本人の承諾がなければ介入を始められないところにあります。DVケースの支援の経験がある方はご存じだと思うのですが、被害者はなかなか配偶者(および類する者)との関係に見切りをつることができず、介入に対する決心を渋り続けることが少なくありません。決心がつかない被害者に対して、焦りや憤りを経験したことのある相談支援担当者も少なくないはずです。


 しかし被害者本人からすると、シェルター避難や接近禁止は、人生の大きな決断になるわけです。相談員の焦りで支援を急いだとしても、それに追い立てられるように感じてしまい、被害者が相談を止めてしまうこともあります。時には、いったんシェルターや施設に避難・保護となって後、再び加害者との(暴力の)関係に戻ってしまうことも少なくありません。暴力が取り返しのつかない結果にならないよう見守りつつ、被害者の自己決定を焦らず待つというアプローチが求められるのだと思うのです。


 しかし、そこに子ども虐待が併存したとき、支援者はどういうスタンスでケースと向き合うのか、難しいさじ加減が求められるわけです。DV被害者は、暴力の被害者であると同時に、子どもを守る義務を持つ親(多くは母親)でもあるわけです。「焦らずに自己決定を待つ」というアプローチだけでいいのかという疑問が生じます。しかし、介入・支援への決心を強く促した時、唯一の支援の窓口(入り口)から遠のいてしまう可能性もあります。先述した「家族再構築」のために必要なキーパーソンである母親との信頼関係が損なわれてしまうリスクも生じるわけです。


 今回、宮古島市での児童虐待死事件のようにDVと虐待が併存するケースは少なくないと思います。この事件については、児童相談所間での連携の不備を含めた様々な指摘がされています。


 「子どもは社会が育てる」とよく言いますが、実際には、子を育てる親を社会が支えているわけです。難しいケースになるほど、親をすっ飛ばして社会が育てるということは、私達が考えるよりも多くの困難を伴うものだと思うのです。多くの里親の方々はそのことを日常の現実として、実感されていらっしゃると思うのです。


 児童相談所や児童家庭課、そして里親の方々など、児童虐待の介入・支援に関わる人達は、社会が代行するには困難な「子どもの育ち」を、いかに社会が補填できるのかというミッション・インポッシブル(難しい職務)を背負っているのだろうと思うのです。彼らのミッション(職務)をよりポッシブル(possible、可能)にするような環境を作ってあげなければ、今回のような事件事故への反省は生かされないままになってしまうのではないかと思うのです。他府県に比べて様々な問題の多い沖縄に、児童相談所が2カ所しかないというのは、現状に見合ったものなのか、再検討が必要なのではないでしょうか。