戦後70年の8月を迎えた。本土の敗戦=無条件降伏の受諾が、8月15日のいわゆる玉音放送をもって国民に公知されたため、僕が今仕事をしている報道の世界では、8月は戦争ジャーナリズムの季節ということになっている。テレビや新聞、雑誌では、今年が戦後70年の節目であることから、大きく特集が組まれたりしている。僕は思う。これを一過性の年中行事にしてはならない。

再上演された演劇集団「創造」による劇「人類館」(知念正真作)=2014年11月、沖縄市民小劇場あしびなー


 沖縄ではそれに先立つ6月23日、沖縄駐留第32軍の牛島満中将が自決した日が沖縄戦の終戦日ということになっていて、すでに追悼式典も行われた。実際には6月23日の後も敗戦を知らずに、「鬼畜米英」を相手に戦闘態勢を解いていなかった島もあったという。それによって引き起こされた悲劇もあった。


 今、冷静にこころを鎮めて考える。沖縄に「終戦」というのは本当にやってきたのだろうか? 米軍が普天間基地を建設し始めたのは、1945年の沖縄戦のさなかのことである。その基地がいまだに宜野湾市の人口密集地に鎮座している。本当に沖縄に「終戦」はやってきたのか?


 ひるがえって日本全体のことを考えてみよう。一体誰が、70年前の敗戦の焼け跡を前に、集団的自衛権の行使とか称して、日本が海外に軍事力を繰り出すことを認める事態が来るなどと想像しただろうか。当時は戦争に負けて日本はボロボロになり、軍人・兵隊が自ら武器を捨て去って降伏した時代である。その当時の日本人たちは心から平和を希求していたはずである。


 現在、国会で審議されている安全保障関連法案は、その内容も、その法制化のプロセスも、70年前の日本人の平和への希求を踏みにじるものである。現在の政権は、まるで戦前の政府のように、異なった意見や批判に対して聞く耳を全くもっていないようにみえる。何を言われようと、どんなに抗議を受けようと、「粛々と」「淡々と」という無慈悲な言葉で、その実態は、力ずくでことを進めていく。そう、まるで日本全体がいま辺野古で起きている事態のように、有無を言わせずに聞く耳を持たずに強引に進められているのだ。これは民主主義か? 日本全体が辺野古化しているという現実。


 1976年、知念正真が「新沖縄文学」に発表した『人類館』という戯曲がある。戯曲のモチーフとなった人類館事件とは、03年、大阪・天王寺で開かれた内国勧業博覧会で、琉球の女性2人が、アイヌ、台湾の高砂族、インドのキリン族、ベンガル人らとともに、民族衣装姿で生きたまま展示されていた事件をいう。


 沖縄県からは博覧会側に対して、琉球の人間をアイヌや台湾先住民と「同列に」展示されることへの抗議も寄せられたというが、このあたりの反差別感情は複層化している。『人類館』作者の知念は、この戯曲で扇情的なまでに登場人物の1人に次のように語らせている。


 〈我が「人類館」は、世界中いたる所で差別に遭い、抑圧に苦しみ、迫害に泣く人種、民族を色とりどりに取り揃(そろ)えてございます。黒人あり、ユダヤ人あり、朝鮮人あり、琉球人あり、アイヌ、インディアン、エトセトラ…(略)…どうぞ、みなさん、彼らを良く見てやってください。彼らの一挙手一投足を、瞬(まばた)きもせずに観察して下さい。穴のあく程、しみじみ見詰めてやってください。…そうすれば、賢明なみなさんのこと、多分、お気付きになる筈(はず)です。「彼らも私達と同じ、人間なのに…」と。〉


 僕は去年11月、この『人類館』が再演されたのを沖縄市でみた。そして、さまざまなことを考えさせられた。さて、今の沖縄で起きていることを率直に記せば、本土政府が、沖縄全体をかつての「人類館」パビリオンのような空間に封じ込めてしまっているのではないか。かつての戯曲をもじって言えば次のようになる。かなり激越になるけれどお許し願いたい。


 〈我が「人類館2015」には、本土に暮らす善良なる日本人のために、安全保障上の過大なご負担をおかけしている沖縄県民の生態があますところなく生きたまま展示されております。ほれ、沖縄の皆さまは、わが日本にある米軍基地の74%が集中しているフェンスだらけのなか、選挙で何度も示された民意をこれほどまでに無視されているにもかかわらず、わが中央政府からの交付金漬けをのぞむ一部の腐りウチナンチューを抱えながらも、人口増加率全国トップを誇る生命力満点の皆さまでございます。


 彼らの一挙手一投足を、瞬きもせずに観察してください。わが本土政府の主張に何から何まで盾突く地元新聞2紙などつぶれてしまえばいいと言われたヒャクタ大先生のおっしゃる通り、彼らは特異なるメディア環境下で、炎天下にもかかわらずキャンプ・シュワブ前の路上で抗議行動をとったり、わが沖縄防衛局が、世界の中の至上の同盟国・アメリカ様のために新基地を建設しようとしているにもかかわらず、木の葉のようなカヌーや左に傾いた漁船等を操って海上で抗議行動をとるなど、「和を以(も)って尊し」を旨とする日本精神に反するような一部の輩をつぶさにご覧いただけます。


 海保の連中が一部手荒を働いておりますが、これも皆さんの観察作業のなかで、エキサイティングな妙味を提供するものでありましょう。穴のあく程、しみじみ見詰めてやってください。…そうすれば、賢明なみなさんのこと、多分、お気付きになる筈です。「彼らも私達と同じ、人間なのに…」と。〉


 悪い白昼夢をみてしまったようだ。沖縄戦から70年を経た琉球は、当然ながら「人類館」化を断固拒否しなければならぬ。(2015年8月6日付沖縄タイムス文化面から転載)