7月16日、衆議院本会議で、安保関連11法案が可決された。これを、どう評価すべきか。
 一連の法案は多分に問題をはらんでおり、集団的自衛権の行使が憲法違反なのは明らかだ。さらに問題なのは、「存立危機事態」がいったい何を意味するのかについて、政府・与党内でも一致をみないほど不明確になっている点だ。なぜ不明確になってしまったのだろうか。

■72年の政府見解

 実は、存立危機事態という概念は、今回初めて登場したものではない。1972年の政府見解では、わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置は禁じられないから、存立危機事態での必要最小限度の武力行使は合憲としている。昨年7月1日の閣議決定は、外国への武力攻撃によって存立危機事態が生じた場合には、日本が武力行使したとしても72年政府見解と矛盾しないとした。形式的に見れば、確かにそうだ。
 ただ、72年見解は、存立危機事態を認定し「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」、つまり、存立危機事態だと認定できるのは、武力攻撃事態に限られる、と明言している。そうすると、72年見解と矛盾せずに、存立危機事態を認定できるのは、日本自身が武力攻撃を受けた場合に限られなければおかしい。
 しかし、政府は今回の審議で、石油の値段が上がったり、日米同盟が揺らいだりする場合には、日本が武力攻撃を受けていなくても存立危機事態を認定できると答弁した。さらに、そうした事情すらなくても、政府が「総合的」に判断して存立危機事態を認定できるかのような答弁もなされている。
 これでは、いかなる場合に存立危機事態が認定されるのかを確定することは、極めて困難だ。つまり、「存立危機事態」の内容が明らかにならないのは、政府が概念を定義することを避け、「存立危機事態とは武力攻撃事態だ」という従来の解釈基準を放棄したからだ。

■国民無視自覚を

 これは、「法律の明確性」という憲法の要請に反する。なぜ法律は明確でなければならないのか確認しよう。
 まず、不明確な法律は、政府の恣意(しい)的な運用の危険を生じさせる一方で、予測不能な形で違法の宣言が出される可能性も出てくる。不安定な法律を前提に派遣される自衛官には、相当なストレスがかかるだろう。本当に集団的自衛権が必要なら、確固たる法的基盤を整えるのが政治家の責任ではないか。
 さらに、不明確な法案は、法案内容の過不足を判定する基準がないこと、つまり、「政策的に妥当だ」との判断もなし得ないことを意味する。不明確な法案に賛成できるのは、「政府のやることには何でも賛成」という主体性のない人だけだろう。内容の不明確な法律は、政府にすべての判断を白紙で一任するようなものだ。これは、「法の支配」そのものの危機なのだ。
 各種世論調査でも、国民はこの法案に反対する人が多いようだが、武力行使の範囲は、憲法を通じて主権者国民が決定すべき事柄だ。憲法を無視した安保法制は、国民を無視した安保法制であることを自覚すべきだろう。(首都大学東京准教授、憲法学者)(記事と写真の転載、複写を固く禁じます)

※「木村草太の憲法の新手(しんて)」は、本紙第1・3日曜日に掲載。