小学校2年生のみつる君(以下すべて仮名)は、統合失調症をわずらうお母さんと二人暮らしです。お母さんは半年少し前までは、精神的に不安定になり入院することが何度かありました。周りに親戚など頼る先のないみつる君は、お母さんの入院中、児童養護施設に入所することもありました。調子が悪いときのお母さんは、症状のために混乱していることがあり、お母さんの調子が安定するとみつる君もうれしくなるわけです。学級担任の梅子先生は、自身が同じ年頃の子どもがいるということもあり、同じ服を何日か着て登校してきたり、「昨日はお母さんの調子が悪かったから眠れなかった」と言うみつる君と、お母さんのことを常に心配に思っていました。

 遠足の日、みつる君は、持参したお弁当がコンビニ弁当だということを同級生にからかわれていました。それを見ていた梅子先生は心配になり、翌日家庭訪問をしました。お母さんが対応してくれたのですが、一生懸命なわりに何か「空回りしている」と感じながら、みつる君宅をあとにしました。翌日みつる君は学校を欠席しました。 

 不安に思った梅子先生は、教頭先生に相談し、その数日後、市の児童相談員、教頭先生、そしてお母さんの相談・支援をしている精神保健福祉相談員とで話し合いを持ちました。 

 話し合いでは、担任の梅子先生が以下のように会議の本題に話題を移していきました。 

梅子先生 実は、先日心配なことがあったんです。遠足の日の弁当に、みつる君、コンビニで買った弁当を持って来ていて、他の子ども達から「かいべん、かいべん」っていじられていたんです。数日間同じ服を着て来たり、お母さんの調子がよくない時は、みつる君が食事を作ったりしているようなんです。家で何かあった翌日、みつる君が疲れているのがわかるんです。 

児童相談員 私も梅子先生から何度か相談を受けているのですが、お母さんの病状は大丈夫なんでしょうか? 母親として機能できるレベルなんでしょうか? 

精神保健福祉相談員 母さんは、半年以上前に退院してからは、入院が必要なことはなくなっています。お母さんとしても、みつる君との生活がちゃんとやれるようにがんばっているようです。 

児童相談員 しかし実際にみつる君は、お母さんの調子に影響されているように思われるんです。以前お母さんが、調子の悪いまま、遅くまで帰宅しないということがあったり…。私たちからすると、お母さんご自身がもう少し治療に専念して、母親として機能できるようになってからみつる君との生活を再開した方がいいのではないかと考えるんです。 

精神保健福祉相談員 具体的には、どのように考えていらっしゃるんですか? 

教頭先生 例えば、入院治療をして、母親として子どもの世話ができるくらいに回復してから同居するということです。みつる君がいることですし、それを考えると、子どもの世話ができるかどうかが回復・退院のめどになるように思うのですが。 

精神保健福祉相談員 ご存じのようにお母さんの入院中、みつる君は再度施設に入所するしかありません。それでもいいと思うのですか? 

梅子先生 二人には大変なこととは思いますが、でもお母さんの調子に影響されているみつる君のことを考えるとそのほうがいいのかと考えるのです。 

精神保健福祉相談員 確かに少し前までは、お母さんは調子が安定しないこともありました。今回は、みつる君のことを考えて、お母さんなりに努力しているところが見られます。朝9時後にしか起きることができなかったお母さんが、今は7時半に起きて、コンビニでお弁当を買って持たせるっていうのは、すごい進歩だと思っているんです。今お母さんがみつる君と離れてしまうと、がんばろうという目標がなくなってしまって、今度は長期の入院になってしまうと思うのです。お母さんもみつる君も家族を失ってしまう可能性があるんですよ。 

教頭先生 でもそれは、子どもがお母さんの障害の犠牲になるっていう風に聞こえるんですよ。それで本当にいいんですか? 

 結局話し合いでは、精神保健福祉相談員と学校や児童相談員との間で方針についての溝が埋まらずに終了してしまいました。 

 前回のエッセー(「地域支援」と「上江田紫寿江」~子ども達に寄り添い応援し続けた生涯)のなかで、地域・生活支援では、さまざまな人々(職種・機関)と連携して支援していくことになるということを紹介しました。実際に異なる機関、分野や職種がひとつのケースをめぐって協働していくことで見えてくることのひとつは、それぞれの職種や分野間のちがい、「実践文化のちがい」だったりします。 

 上に紹介したみつる君の例で考えてみましょう。「子どもを守る・育てる」ことが社会的使命である教育や児童福祉にとって、子どもとその生活環境を維持するというのはこの実践分野の中核部分に相当します。一方、障害者福祉では、「(精神)障害者の地域生活を支える」ことを使命としています。地域で生きる障害者を支えるということは、しばしば障害者の生活上の躓(つまづ)きにいかに寄り添い・支えるかということが課題となります。失敗をくり返しながらも、その人らしく地域で生きていくという実践文化(実践への考え方)が根づいて来たわけです。「コンビニ弁当を持たせた」というお母さんの行為を、教育・児童の分野は「母親として機能していない」部分として考える一方、障害福祉では「朝起きて、弁当を持たせられるようになった」という「進歩」としてとらえているわけです。しかし、教育や児童福祉にとってはその考え方そのものが、「親の障害の犠牲になる」という認識となり、お互いの溝となってしまっているわけです。それぞれの「正しさ」が衝突しているわけです。 

 こういう状況では、「あの児童相談員はわかっていない」とか「精神保健福祉相談員の偏った考えだ」といったように、考え方の不一致を個人レベルの不一致として認識することが多いと思います。もちろん個々の実践者の影響は大きいものです。しかし、地域で連携して実践に取り組むということは、分野や職種などのマクロ(広い)なレベルでの行きちがいについての視点を持つ必要があるようにも思えるのです。 

 今後、子ども達の支援には、教育や医療・福祉だけでなく、警察や司法含めた様々な職種・分野がそれぞれの実践文化を背負って協働・連携の場に登場すると思われます。

 心理学や福祉学には「システムズ理論」という、立場にもとづいて個人の言動を理解するというパラダイム(認識)を主張する理論があります。ちがったバックグランドを持つ人同士の連携で何かをつくりあげるためには、それぞれの「立場」というシステムを認識した上での協働が求められるのかもしれません。お互いのちがいを、それぞれの(実践)文化として客観的にそして冷静に見ていくことが大切になっていくように思います。