沖縄の基地問題は本土側のメディアでどう位置づけられ、読者はどのように受け止めているのだろうか。基地問題が中央でも大きく取り上げられ、沖縄の新聞記事が大手ニュースサイトにも載るようになった。理性的な意見も寄せられるが、読むに耐えないようなコメントも多く散見される。これはどういう心理によるものなのか。沖縄出身で広島修道大学で教授を務める野村浩也氏(社会学)に聞いた。【沖縄タイムス+プラス編集部】  ―沖縄の基地問題の県外での報道のされ方、市民のとらえ方をどう見ていますか。

  野村 元外務省主任分析官の佐藤優さんが全国紙幹部のこのような発言を紹介しています。「客観的にみて、日本政府は沖縄に植民地政策を取っている。沖縄が自己決定権を要求するのは当然の流れだ。辺野古の新基地建設は県民の受忍の限度を超えている。しかし、この種の話に日本人読者は生理的に忌避反応を覚える。何とか大多数の読者に受け入れられる言葉を見つけたい」(「佐藤優のウチナー評論〈366〉」『琉球新報』2015年1月31日)
 つまり、「読者が求めていないので基地問題はあまり報道しない」ということでしょう。読者の多くも、沖縄報道の重要性を認識していないといえるでしょう。要するに、県外でまともに報道されることがないというのが県外での報道のされ方です。多くの記者も市民もニュース性がないと思っていると言っても過言ではないでしょう。

  ―2004年8月に沖国大にヘリが墜落したときも、五輪報道などに比べ全国紙やテレビニュースの扱いは大きくなかったですね。

  野村 沖縄では「ヘリ墜落」の号外が出ましたが、実は東京でも号外が出ていたのです。号外といっても「ナベツネ辞任」でしたが。日本のマスコミにとって、プロ野球球団のスキャンダルの方にニュース性があって、沖縄の学生の生死にかかわる事件はニュース性がなかったわけです。ただし問題は、市民にとって、はたして本当にニュース性がないのかということです。また、注意すべきは、前出の幹部が「この種の話に日本人読者は生理的に忌避反応を覚える」と述べている点です。そして、「大多数の読者に受け入れられる言葉を見つけたい」に関しても、本当に「言葉」の問題なのかどうか。いずれも再検討すべき重大な問題だと思います。

  ―沖縄地元2紙の記事が中央のニュースサイトに掲載されると、本筋とは関係ないヘイト・スピーチにも似たコメントや書き込みが散見されます。この現象についてどうお考えでしょうか。

 野村 まず言えるのは、沖縄地元2紙が真実を報道している証拠だということです。大手サイトでたまにしか真実が報道されないと、真実の重さに耐えられない読者が出てきてもおかしくないからです。
 真実は、うれしいことや楽しいことばかりではありません。なかには、不都合なことや否定したいことだってあります。つまり、真実に向き合うのは時に苦しく不快なのです。読者自身の不都合な真実に迫る記事であればなおさらです。そういう記事に「日本人読者は生理的に忌避反応を覚える」からヘイト・スピーチにも手を出すのです。
 この反応に対しては、どんなに「読者に受け入れられる言葉を見つけたい」と頑張っても無駄です 。言葉ではなく、真実に対する忌避反応だからです。そもそも真実を受け入れたくないのです。
 沖縄地元2紙の在日米軍基地報道に対するヘイト・スピーチ的言動は、大手新聞やテレビ番組にすら散見されます。それは、日本人の不都合な真実だからです。不都合な真実と向き合うのは苦しく不快であるがゆえに、手っ取り早く否認しようとするのです。この現象を理論化したのがジークムント・フロイトです。

  ―「日本人の不都合な真実」とは、具体的にはどういうことでしょうか?

 野村 沖縄人に基地を押しつけているということです。ヘイト・スピーチ的言動をするのも、この真実と向き合うことができないからです。真実と向き合うのが苦しいからです。
 ところで、さっきの全国紙幹部のいう「生理的忌避反応」は、フロイトの概念では、社会的心理的反応としての「防衛機制」に該当します。防衛機制はおおまかに五つに分類されます。「投射」「退行」「抑圧」「昇華」「合理化」です。
 ヘイト・スピーチの特徴のひとつは、その罵声で相手を沈黙させようとすることです。つまり、「黙れ!」と言っているわけです。これに該当するのが「抑圧」という防衛機制です。不都合な真実と向き合うのが苦しいがゆえに、真実そのものを消し去ってしまおうとするのです。その意味で、ヘイト・スピーチも防衛機制の一事例と考えることができます。  そして、真実と向き合う苦しみを説明する概念が「存在論的不安」です。防衛機制に逃げ込むのも存在論的不安に陥っているからです。そうやって無意識的に束の間の安心を手に入れようとするのです。「無意識」とは、フロイトによると、「自分が自分をだますプロセス」のことです。意識していたらそもそもだましは成立しません。そして、自分が自分をだます具体的な方法が防衛機制です。
 ですから、ヘイト・スピーチ的言動をする人の多くが、自分の言動をヘイト・スピーチと思っていないわけです。ただし、存在論的不安から真に解放されるためには、真実を受け入れる以外に方法はありません。真実を受け入れることができず、防衛機制に逃げ込んでいるかぎり、必ず存在論的不安に逆戻りすることになります。ヘイト・スピーチを繰り返すほかないという悪循環に陥ってしまうのです。

  ―そもそも政府の意見に反論したり、政策を批判したりするなど権力の監視は報道機関の重要な役割の一つですが、それに「反日」「非国民」などのレッテルを張り、攻撃してくるような状況があります。

 野村 マス・メディアが「反日」「非国民」という言葉を使って同業他社を攻撃するならメディアの自殺行為と言うほかありません。その言葉が第2次大戦前に報道の自由を破壊した呪いの言葉だからです。ヘイト・スピーチの原形とも言えるでしょう。
 大手サイトの書き込みを含む沖縄2紙に対する攻撃についても、実は防衛機制概念で説明することができます。具体的には「投射」という防衛機制です。これはインターネット上の国語辞典にも掲載されている有名な概念なので引用しておきましょう。
 「自分の感情や性質を無意識のうちに他人に移しかえる心の働き。例えば他人に敵意を抱いている時,逆に相手が自分を憎んでいると思い込むなど」(『スーパー大辞林』)
 要するに、責任転嫁です。よく考えてみると、もし仮に「反日」や「非国民」と呼ばれるべき人がいるとするならば、それは日本人しかいません。74%もの在日米軍基地を沖縄人に押しつけて、安保の負担から逃れているからです。その点、沖縄人の方がよっぽど「愛国」的かもしれません。この不都合な真実が意識に上ってこないように、沖縄人に責任転嫁するのです。そのための具体的な方法が、沖縄人の方に逆に「反日」「非国民」と罵声を浴びせることです。これが投射という防衛機制です。そうやって存在論的不安から逃れようとするわけです。