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引きこもりの若者や子どもの受け皿づくりについて語る上江田紫寿江さん=2010年3月


今回のテーマは、「地域支援」と「上江田紫寿江」です。先日亡くなったNPO法人サポートセンターゆめさき代表の上江田紫寿江さんは、子ども達の地域支援という果汁が濃厚につまったシークヮーサージュースのような人でした。地域支援についてひもときながら上江田紫寿江さんのこれまでの仕事について考えてみたいと思います。


発達障害あるいは子どもについて、ケースに限らず言えることなのですが、メンタルヘルスの分野では、いわゆる「治療」あるいは「治す」というアプローチと、「支援」というアプローチがあります。


「治療」や「治す」アプローチの代表は医師や心理士などが行う診療や精神療法などです。これら「治療」・「治す」アプローチの特徴は、非日常的な時間・空間での臨床実践が、患者さんやクライエントと言われる人達の日常生活に影響を与えるということです。診察室やカウンセリングルームなどのように日常生活から区切られた時間と空間で行われることが、患者さん・クライエントの日常生活に改善をもらすというものです。それが「治療」・「治す」というアプローチの基本的な構造です。非日常的な時間・空間で行われる実践は、「専門的」と認識される傾向があります。2週間に1回の「○○療法」、訓練室での「○○(訓練)法」などで、「専門職」といわれる職種の多くが、日常生活の文脈から切り離された時空間で行う実践を中心としていることが多くあります。


一方、もうひとつの「支援」のアプローチでは、日常生活そのものの場所と時間で、日常生活の困りを解決していくところに特徴があります。上江田紫寿江さんのNPO法人では、児童デイサービスであったり、不登校・ひきこもりの子ども達の居場所を提供したりするような所をいくつか運営していました。不登校・ひきこもりの子ども達にとって、家から外出して自分の日中生活を組み立てる場所や活動(遊び・勉強・ぶらぶら…)が存在することは、有能なカウンセラーの存在よりも重要なことさえあります。


活動をつくっていくということは、生活をつくっていくということになるわけですが、こういう類の実践を「地域(生活)支援」と呼んだりします。「地域」という言葉は、community(コミュニティ)という英語の日本語訳ですが、英語の日常会話では「人の輪」であったり、「生活の輪」などの意味でよく使われる言葉です。”job community”(仕事の人間関係)とか”school community”(学校の仲間)といった感じです。


地域支援の特徴のひとつは、「活動づくり」の能力が重要だということです。子ども達との遊びを通じて活動をつくるのでしたら、支援をつくる側が、遊びをつくっていく能力を必要とされるということです。私が理事長をしている法人の児童デイサービス「ぺあ・さぽーと」では、山や海の活動を山城健児所長中心に展開していますが、それは山城所長自身の遊びの展開力を活用して可能になる実践なのです。紫寿江さんのNPO法人も、児童デイサービスやサポートステーション、かつては若者自立塾など、さまざまな事業所を展開してきました。これらはすべて、子ども達(青年達)の日中活動を提供するもので、活動をつくる力がベースになって展開できる支援の形です。


活動づくりの能力に加えて、地域支援は「人とつながる力」が求められます。ひとつめは、活動をつくるために人とつながる力です。紫寿江さんが関わってきた若者自立塾やサポートステーションでは、農業や仕事体験に始まって、「朝食クラブ」やサバイバル・キャンプなどというユニークなプログラムを展開していました。紫寿江さんがすべての活動をつくりあげたのではなくて、それぞれの活動の(地元の)名人達と「つながる」ことによって展開できた活動の数々なのです。


「つながる力」の二つめは、生活全体を支えていくための「つながる力」です。例えば、過去に紫寿江さんと関わった事例なのですが…。ある子どもが少年院から退所した時、既に高校生の年齢になっていました。入試の時期を少年院で過ごしてしまったので、戻った時には所属する学校や施設がまったくありません。日中の活動も居場所もないわけですから、以前のように夜の世界に出て行って同じような問題を繰り返す可能性が高くなるわけです。保護者と本人に加えて、保護観察所、活動場所提供に同意してくれた就労支援施設、元の学校の教育相談担当、そして紫寿江さんの事業所とで高校入学までの過ごし方を相談しました。日中は週何回か就労支援施設で働き、残りの日は紫寿江さんの事業所で過ごし、教育委員会の先生もボランティアで高校入試に向けて学習サポートをしてくれました。


就労支援施設で経験したベーカリー業務に興味を持った彼は、食品関係の勉強をするために高校に入学していきました。生活のさまざまな場面(このケースだと就労経験をする場所=日常の多くの時間を過ごす場所、紫寿江さんの事業所=ぶらぶらしながら同年齢の子ども達とかかわる場所、教育委員会=学習支援、保護観察所=退所後の生活を組み立て監督する)に関わる人たちが、子どもの「生活」を組み立てていくためのサポートをしていったわけです。


紫寿江さんは、ここで説明してきた「地域支援」、特にさまざまな困りを抱えた子ども達の地域支援に、文字通り「命を捧げ」た人だと思っています。


始まりは、教員を辞めて自宅で始めた塾だったそうです。紫寿江さん曰く、「そこでさー、はーっせ、学校終わる時間でもないのに、塾に来る子どもがいるわけよー。『あんた、学校は?』って聞いたら、行ってないっていうわけさー。はーっ、この子よー、どんなに『でぃきやー』(よくできる)だったから…」と、学校行けない、家から出ることができない(塾しか行けない)子ども達と遭遇したことを話していました。


その後、自宅で不登校の子ども達の居場所づくりをしながら、星槎国際高校という通信制高校の学習センター長になります。「この子たちさー、中学まではいいけど、高校なったらさー、行くところがないわけよー」と、子ども達の必要性に追い立てられるように設立することになった通信制高校の学習センターでした。


そして3カ月入所型の若者自立塾は、青年期になった「子ども達」のニーズに追い立てられるように、内閣府から受託した事業でした。本部町の宿泊施設で3カ月の入所生活を行いながら、社会経験・就労体験を通して、社会に出て行く準備をしようというものでした。しかし紫寿江さん曰く、「でもさー、知名さん。これだけでは不足なのよ。これまで不登校とか引きこもっていた子達が、すぐに3カ月の自立塾で寝泊まり難しいさー。それに、自立塾終わってから、家に帰ったら、また引きこもり生活に戻る子達も多いわけよー」と。


ところが、嘆いていたのもつかの間。「知名さーん、できますよー!!!サポートステーション。子ども達が通って時間すごせる居場所さー、はーっせ!!自立塾への準備にもなるし、自立塾に戻ってからゆっくり次のステップもふめるさー」と、私もわくわくしながら報告の連絡を受けました。これもニーズに迫られて突き進んだ彼女の展開でした。ひきこもりや不登校の子ども達への支援は、支援のための制度が揃わない中での取り組みでした。そういう中で、彼女を駆り立てたものは、子ども達と親たちの不安とニーズだったのだろうと思うのです。


紫寿江さんとはこの十数年、いろんな仕事をしてきました。ケースのこと、訪問事業運営のこと、親のサポートグループのこと、行政とのこと…。よく電話もかかってきました。彼女の死はあまりに唐突で、お葬式に参列しても実感が湧きませんでした。当然ですが彼女からの電話がないので、試しに電話もしてみましたが、やはり不通でした。


ただただ淋しいです。子ども達とその親の不安に答えるかたちで、彼女はここまで来たと思います。おそらく今も、自分の家族のことと、そして自らの命を奪った少年のことを、一番心配しているんじゃないかと思うのです。


しわーねーんさ、紫寿江さん。よんなー、しみそーれー。 
(心配しないで、紫寿江さん。ゆっくり休んでください)


合掌