今年は戦後70年という節目の年だ。人間という生き物は、滔々(とうとう)と流れていく歳月の中で、自分の位置を見定めるマッピングという作業を、意識的にも無意識的にも行っている。今、自分はこの世界の中で、どのあたりに位置しているのか。この現世において、自分はどんな場所にいて、この後どうなっていくのだろうか、と。大海原を航行する船に羅針盤が付いていて、経度と緯度で自分たちの位置を定めるように、僕らも時間に区切りをつけて位置を確認する。

映画「沖縄 うりずんの雨」より(監督:ジャン・ユンカーマン/シグロ作品)


 「戦後」もそのための尺度の一つだ。それはまたあの戦争を忘れないための知恵でもある。だが今、この「戦後」という尺度が無効になりつつあるのではないか。いや、正確に言えば、無効にされつつあるのではないか。「戦後」ではなく、むしろ「戦前」という尺度の方がより具体的に自分の位置がわかるのではないか。それほど日本では、いま戦争に向けた準備が強引に進んでいるように思う。


 日本時間の4月28日(ワシントンDCでは時差があり27日)、日米の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)で、日本側は、米軍普天間飛行場の移設に関して、名護市辺野古への移設が「唯一の解決策」だと明言した。そこにいた米側もそれを歓迎したことは、共同文書に明記されていることからも明らかだ。翌日のオバマ・安倍首脳会談でもこのことが再確認された。最もオバマ大統領の頭の中を占めていたのは、ワシントンDCから目と鼻の先、ボルティモアで続いていた黒人層を中心とした暴動にあったのだろうが。


 共同記者会見でも米側記者はこの点について質問を浴びせていた。No Justice, No Peaceとは暴動の際に掲げられたスローガンだ。「正義のないところに平和はない」。日本語ではJusticeは「正義」と訳されることが多いが、この語には倫理的な価値観が含まれている。人間の倫理に照らして理不尽な行為が行われた場合、それが正されなければ真の平和は訪れない、というほどの普遍的な意味合いを持つ。


 沖縄県民が選挙という最も民主主義的な方法で、辺野古新基地建設はイヤだと意思表示したにもかかわらず、結局のところ、沖縄の民意はまたも踏みにじられた。もちろん、そんなことは予想できたことだ。翁長知事との面会も訪米直前に辻(つじ)つま合わせのように行われ、それまでは会おうともしなかった。一体どちらを向いて仕事をしているのか。


 この一連の日米協議が行われた4月28日という日付は特別の意味を持っている。63年前のサンフランシスコ講和条約で、日本の主権回復と引き換えに、沖縄が本土から切り離されて米軍施政下におかれた「屈辱の日」だからだ。その日にまた沖縄が切り捨てられた。その日の意味合いを彼らが忘れていたとしたら、彼らは非倫理的な人々だ。別の言葉でもっと分かりやすく言えば、人の道を外れている。本土のために沖縄は負担を強いられて当然の場所なのだとでも言うように。


 その根底にあるのは、国内植民地的な差別観である。沖縄は本土とは違う。沖縄は地理的にも地政学的にも中国により近く、そこは本土防衛の負担を担ってもらうべき場所と人々なのだ、と。あとはカネで解決できるだろうと。怒りで頭が沸点に達しそうだ。この程度の政治リーダーしか持ちえていない日本の政治システムに対して。そのことをまともに報じようともしない本土メディアと一部の地元テレビ局に対して。その現実を甘受している若い世代のものわかりのよさに対して。


 ここからが本題だ。この自分の怒りの未熟さに気づかされるような映画作品に出会った。戦後70年目の日本で、沖縄で、どうしても見ていただきたい映画だ。ジャン・ユンカーマン監督の『沖縄 うりずんの雨』。よくぞこれだけ深くかつ確かな歴史の視座を、当事者たちの証言を通して紡ぎあげて、私たちに提示してくれたものだと思う。その意味で、この映画はこの70年間の沖縄からの問いかけの集大成だ。


 この春、米国ボストンでインタビューをしてきた歴史学者のジョン・ダワー氏が指摘していたが、現代史において沖縄はこれまで3回切り捨てられたと。まず1945年の沖縄戦、続いて52年のサンフランシスコ講和条約、そして72年の本土復帰だったと。僕らはそこに2015年を新たに付け加えなければならないのか。作品中に登場する安里英子氏の言葉が心に突き刺さる。「女性たちだけでなく、沖縄そのものが凌辱(りょうじょく)されているということなんですよね。今の基地問題も。当たり前の人間として扱われていないという怒りがあります」


 もう一本の映画は、三上智恵監督の『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』だ。見終わってから僕は魯迅の短編小説『賢人と馬鹿と奴隷』を思い出していた。辺野古に基地をつくらせないと動いている、ある意味で、愚直で頑固で生真面目な人間の肉声と心のうちがひしひしと伝わってくる。すばらしい。海上保安庁職員も含め、多くの人が見られますように。(2015年5月6日付沖縄タイムス文化面から転載)