普天間飛行場の辺野古移設にノーを表明した名護市民投票の翌年、1998年の憲法記念日に、私は本紙に「地方自治の可能性-沖縄から見える憲法」という一文を書いた。

《図》個別的自衛権と集団的自衛権の関係図

 「〔沖縄基地問題についての〕日本政府の政策選択の幅は著しく狭い。ジャンケンに例えれば、米国がパーを出し、政府がグーを出す。そして政府は、交付金や補助金をちらつかせながらパーを出し、地方自治体はグーを出す。だが、沖縄の基地問題では、政府がパーを出したけれども、沖縄(当初は名護市民)はチョキを出した。ほかの国の中央政府なら、自国の自治体の言い分を代弁して、「同盟国」に対してもチョキを出す選択肢を捨てることはしない。ところが、この国の中央政府は、米国に対してチョキを出すことを初めから放棄し、沖縄にグーを出せと執拗(しつよう)に求めている」。

 この「グーを出せ」という圧力は、安倍晋三政権になって、信じられないほど強引、傲慢(ごうまん)、高圧的になっている。「粛々と」は問答無用と同義である。もはや民主主義国ではない。

 安倍政権は、昨年7月1日、違憲である集団的自衛権行使を容認する閣議決定を行った。政府は半世紀以上にわたり、「我が国に対する武力攻撃の発生」がないのに武力を行使することは「自衛」ではないから違憲という解釈をとってきた。その憲法解釈を閣議決定で変更してしまったのである。私はこれを、憲法九条の首を落とす「憲法介錯(かいしゃく)」と呼んでいる。

 戦後日本の安全保障のありようを根底から覆す決定であり、特に在日米軍基地を押し付けられている沖縄県民にとっては深刻な問題を引き起こすため、事柄の本質をしっかりと捉える必要がある。その「7・1閣議決定」について、本紙に登場した憲法研究者の木村草太氏の解説には重大な問題が含まれているので、それをここで指摘しておきたい。

 一つ目は、閣議決定の文言を法的に丁寧に読めば、個別的自衛権と集団的自衛権は一部で重なり合っており、閣議決定はその重なり合った部分に限定して集団的自衛権を認めたもので、個別的自衛権で対処できるものを、あえて集団的自衛権と呼んでいるだけだからさほど心配しなくても良いという主張である。これは作家の佐藤優氏も賛同し、あちこちで広めている。だが、これは誤りである。

 《図》を見ていただきたい。個別的自衛権か集団的自衛権かは二者択一の関係にあり、ある武力行使が個別的自衛権行使でも集団的自衛権行使でもあるということはあり得ず、両者が重なり合うことはない。半世紀以上維持されてきた政府解釈は、個別的自衛権を「自国に対する武力攻撃を実力で阻止する権利」、集団的自衛権を「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」と定義し、この定義は変更できないとした上で、両者は、自国に対する武力攻撃に対処するものかどうかという点で明確に区別されるとしてきた。国連の旧ユーゴスラビア国際刑事法廷裁判長を務めた国際法学者のA・カッセーゼも、「集団的自衛権を行使する国家は、自身が攻撃国による武力攻撃の被害国であってはならず、この場合には、個別的自衛権を行使することになる」と明言している。「重なり合う」ことはないのである。

 二つ目は、在日米軍基地への攻撃に対する自衛隊の反撃について。米軍への攻撃だから集団的自衛権行使とも説明できるという木村氏の主張だが、従来の政府解釈は、「我が国に対する攻撃なしに在日米軍基地への攻撃はあり得えない」としてきており、米軍基地への攻撃でも、それに対する反撃は個別的自衛権の行使なのである。

 また木村氏は、閣議決定は、日本の防衛以外に軍事活動はしないという憲法の枠組みを超えてはいないという。けれども、従来の政府解釈は、(1)「我が国に対する武力攻撃の発生」という外形的事実があれば、(2)「自衛のため」、(3)さすがの憲法も個別的自衛権だけは認めているという論理だったのに対し、かの閣議決定は「我が国の存立」とか「国民の幸福追求の権利」といった主観的要素を絡めてこの論理をすり替え、(1)「我が国に対する武力攻撃の発生」がなくても、(2)「自衛のため」であれば、(3)集団的自衛権が認められるとした。

 従来の政府解釈では、「我が国に対する武力攻撃の発生」という外形的事実を歯止めとする個別的自衛権だけが認められていたが、「7・1閣議決定」は、その個別的自衛権に軸足を置いた「合憲」ラインを踏み越えてしまったのである。この閣議決定は、「我が国に対する武力攻撃の発生」という外形的事実なしに満州事変や上海事変を自衛権行使とした旧軍の発想に限りなく接近しており、きわめて危険である。この点、海軍大臣官房編『軍艦外務令解説』を使って説明した筆者のホームページ、2014年8月4日付「直言」をお読みいただきたい。

 本紙で木村氏の解説を読み、ならば現状とあまり変わらないではないかと思った読者もいるかもしれない。だが、この閣議決定が、4月の安保法制についての与党協議のなかで、「存立危機事態」なる途方もない珍概念を創作して、自衛隊の海外での武力行使に道を開いたことからも、その危険性は明らかだろう。

 すでに18年前に出ている名護市民の決断は、いまや翁長雄志知事を先頭に「オール沖縄」の意思となって、明確な「チョキ」(基地ノー)を安倍政権に突き付けている。国会による辺野古新基地移設法が必要なため、憲法九五条の住民投票を求めるといった、教室での演習問題のような思考で、生身の県民の命と暮らしがかかっている現実と切り結ぶことはできない。

 なお、「7・1閣議決定」と安保法制の危険性と問題性については、最新刊・拙著『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』(岩波書店)を参照されたい。(2015年5月1日付沖縄タイムス文化面から転載)