サンバダンスを始めたばかりの頃、サンバは「カーニバル(お祭り)」で披露するだけのダンスだと思っていました。だって、日本で生まれ育って見聞きしてきたサンバは、ゴージャスな羽根の衣装やキラキラとした装飾を身にまとった女性が踊るというもの。ところが、本場ブラジルのサンバは、生活に根付き、国を越えて人々の心を繋ぐ伝統文化でした。

【楽器を片手に、人々が集えば自然とサンバに】

【若者を中心に、老若男女、様々な人が集うサンバコミュニティ】

【カーニバル出演を喜んで応援してくれた、ブラジル沖縄県人会の皆さま】

【玉城さん宅でのホームパーティ。大きなお鍋の中はソーキ汁】

【伊波さん指導の下、熱心に三線を弾くブラジル人】

【楽器を片手に、人々が集えば自然とサンバに】 【若者を中心に、老若男女、様々な人が集うサンバコミュニティ】 【カーニバル出演を喜んで応援してくれた、ブラジル沖縄県人会の皆さま】 【玉城さん宅でのホームパーティ。大きなお鍋の中はソーキ汁】 【伊波さん指導の下、熱心に三線を弾くブラジル人】

■ブラジルの伝統文化、サンバ
 2010年、サンバ修行で初めて訪れたブラジル。サンパウロの街角には、楽しそうな人だかりができていました。
 空き箱を椅子代わりに腰掛け、太鼓を抱きかかえながら楽しそうに素手でリズムを叩く50代の体格の良い叔父さん。
 その隣には、パンデイロというタンバリンのような楽器を巧みに操り、弾むように打ち鳴らす20代ぐらいの黒人青年。
 その様子を見ていた観衆も体を揺らしながら、手を打ち鳴らしてリズムを取ったり、歌を口ずさんだりしています。人だかりの真ん中で、サンバステップをちょこちょこと踏み出す60代ぐらいの女性の姿もあります。沖縄で例えるなら、全世代型「もーあしびー」。人が集う場所には欠かせない、コミュニケーション手段として、サンバの音楽や踊りがありました。

 サンバの起源はポルトガルの植民地だった19世紀ごろにさかのぼります。
 当時、アフリカから連れてこられた奴隷たちは、ブラジル北東部のバイーアで、明日、生きるか死ぬかという過酷な労働を強いられていました。ただ、自由が許された休日、仲間と集まって、手拍子をしたり、地面を踏み鳴らしたりして、楽しく歌って踊ってきました。これが、サンバの始まりだとされています。

 「生きる為のステップ」「希望のステップ」として受け継がれてきた歴史深い文化。沖縄の伝統芸能「エイサー」のように、さまざまな年代の人が集まり、伝統を継承し、人格形成や教育、地域の活性化にも役立っています。青少年の犯罪も多いブラジルですが、サンバをすることで、ネガティブな気持ちを発散し、犯罪の抑止につながっているという分析もあります。
 初めてのブラジルで、サンバを愛する人たちに出会い、サンバの歴史や重要な役割を知り、ますますサンバにほれ込んでいきました。

■“沖縄”からの声援
 ブラジルでは、もう一つの「沖縄」とも出合えました。
 2014年、サンパウロのサンバチーム「Águia de Ouro(アギア ジ オウロ)」のパシスタ(女性花形ダンサー)として二度目のカーニバルに出場しました。その時、「ブラジル沖縄県人会」を訪ねる機会に恵まれました。
 建物に一歩、足を踏み入れると、まるで沖縄のような雰囲気。50代、60代の沖縄県系人の皆さんが、温かい笑顔で迎えてくれました。しかも、会話はなんと、うちなーぐち。 私たち姉妹はそこで、「毎年応援しているサンバチームもあるかもしれませんが、今年は『Águia de Ouro』をぜひ! テレビで応援してください」と挨拶させていただきました。
 すると、「正直、これまであまり、カーニバルを見たことはなかったけれど、宮城さんが頑張るなら応援しますよ」。さらには、「言葉の壁もあるはずなのに、よく現地の人たちと一緒に、サンバを頑張ることができていますね」と感心されました。