米軍普天間飛行場の返還合意から19年を迎え、中谷元・防衛相が、沖縄タイムスのインタビューに応じた。名護市辺野古への新基地建設反対を訴える翁長雄志知事に対し、政府は辺野古移設の強硬姿勢を崩しておらず、中谷氏も沖縄が米軍基地を過重に負担する現状から普天間飛行場の返還に向け、辺野古の新基地建設を唯一の解決策として改めて強調した。

普天間返還合意19年でインタビューに応じる中谷元防衛相=2015年4月13日、東京・防衛省

[中谷元・防衛相] 辺野古が唯一の解決策


 -合意から19年たってもなお、普天間は居座り続けている。
 「沖縄が戦後長らく米軍の施政下に置かれ、現在でも全国の約74%の在日米軍の専用施設・区域が集中するなど、沖縄県民に重い負担をかけていることを重く受け止めている。一方、1996年に県民の強い要望を踏まえ県内への代替施設建設を前提に全面返還で合意した。99年には当時の稲嶺恵一知事、岸本建男名護市長も受け入れを表明した。辺野古が唯一の解決策との考えに変わりはない」
 -翁長知事は沖縄の米軍基地は強制的に接収されたもので、沖縄に代替施設を求めること自体が間違っていると批判している。
 「99年10月、沖縄県議会で県内移設の早期実現を求める要請決議の提案理由を説明したのが当時県議の翁長氏だ。96年4月のSACO(日米特別行動委員会)中間報告を受けた大田昌秀知事は会見で『沖縄側の意向を取り入れる形でやってもらったことには素直に感謝したい』と述べている。政府としては沖縄に寄り添い、解決のために全力を尽くしてきたと思っている」
 「機会があれば翁長知事にも会い、安全保障や基地負担軽減の全体像の中で普天間の位置づけや意義を説明したい。県民にも跡地利用の考え方をお話しして理解を得る努力をしたい」
 -森本敏元防衛相ら識者の中には海兵隊が沖縄に駐留する軍事的合理性はないと指摘する人も多い。中谷防衛相も昨年3月、九州への分散移転について「抵抗が大きくてできない」と発言している。沖縄でなくてもいいのではないか。
 「海兵隊は陸上、航空、後方支援の各部隊を統合した組織であり、緊急時の機動性、即応性が重要だ。沖縄はハワイと比べて東アジアに近くわが国の周辺諸国とも一定の距離を置いている。地理的に安全保障上極めて重要で辺野古以外考えられないというのが結論だ」
 「普天間問題は国と沖縄が一日も早く移設しないといけないという共通の合意事項。現実的に取り得る最も早い手段だったと思っている」

[記者の視点] すでに99年合意は生きていない


 中谷元・防衛相は13日の本紙インタビューで1996年の日米返還合意、99年の地元の受け入れ容認を繰り返し、辺野古移設が「沖縄の要望に添った」ものであると強調した。だが、96年の合意条件だった県内移設に大田昌秀知事は反対し、99年に稲嶺恵一知事、岸本建男名護市長が「15年使用期限」を事実上の条件にした閣議決定は、2006年の「V字案」によって既に廃止されている。過去の“一面”だけを取り上げ、現在の民意に耳を傾けない姿勢は、辺野古を推し進めたいという政府の都合のいい世論誘導にほかならない。
 96年4月、橋本龍太郎首相は大田知事から要望を受け、モンデール駐日大使と普天間の5~7年以内の全面返還に合意した。
 だが、同年12月のSACO(日米特別行動委員会)最終報告には県内移設が明記された。大田知事は名護市の住民投票の民意を受け、反対を表明した。
 99年、稲嶺知事と岸本市長は「苦渋の決断」として「15年使用期限」「軍民共用化」を条件に辺野古受け入れを表明。政府は県の意向を踏まえて閣議で決定したが、こうした条件については米側と本格的に交渉していなかったことが明らかになっている。
 政府は2006年、V字滑走路の沿岸案で再度、閣議決定した。稲嶺、岸本両氏が条件を付けた代替施設と場所も規模も異なる案で、99年の施設や受け入れ条件は消えている。
 こうした経緯で浮き彫りになるのは、米側の意向に沿った答えを重視する日本政府の対米追従の姿勢と、沖縄には都合のいい言葉や理屈でごまかす誠意のない対応だ。すでに99年の合意は生きていない。にもかかわらず、過去の合意を根拠に政府の正当性を主張するやり方に大義がないのは明らかだ。過去の合意が、現在の民意を超越するかのような論を言いはやすのは、政府といえども悪質としか映らない。