気候の温暖な沖縄を筆頭に九州や四国などでスポーツチームやアスリートが、シーズン開幕を前にトレーニングをおこなうこの時期、沖縄では2月1日にプロ野球7球団が一斉にキャンプインした。今年、特に多くの沖縄の野球ファンが楽しみにしているのが、福岡ソフトバンクホークスのルーキー、島袋洋奨投手(22歳・興南⇒中大)の存在ではないだろうか。

伸びのあるストレートで沖尚相手に力投した興南の島袋洋奨=2008年07月12日、北谷公園野球場

2010年春のセンバツで初優勝を果たした島袋投手は、鍛え抜かれた足腰から繰り出すトルネード投法で打者をほんろうした=2010年03月31日、甲子園

最後の打者を三振に打ち取り、マウンドに駆け寄って甲子園春夏連覇を喜ぶ島袋洋奨(左)・山川大輔のバッテリー=2010年08月21日、甲子園球場

東日本大震災の復興支援大学野球で好投した島袋投手=2012年03月11日、セルラースタジアム那覇

中央大の新主将として春のリーグ戦に臨む島袋洋奨=2014年04月05日

福岡ソフトバンクホークスからドラフト5位に指名され、ガッツポーズを見せる島袋投手と、喜ぶ慶田城選手=‎2014‎年‎10‎月‎23‎日

島袋投手(左)のドラフト指名をわがことのように喜ぶ慶田城選手=‎2014‎年‎10‎月‎23‎日

伸びのあるストレートで沖尚相手に力投した興南の島袋洋奨=2008年07月12日、北谷公園野球場 2010年春のセンバツで初優勝を果たした島袋投手は、鍛え抜かれた足腰から繰り出すトルネード投法で打者をほんろうした=2010年03月31日、甲子園 最後の打者を三振に打ち取り、マウンドに駆け寄って甲子園春夏連覇を喜ぶ島袋洋奨(左)・山川大輔のバッテリー=2010年08月21日、甲子園球場 東日本大震災の復興支援大学野球で好投した島袋投手=2012年03月11日、セルラースタジアム那覇 中央大の新主将として春のリーグ戦に臨む島袋洋奨=2014年04月05日 福岡ソフトバンクホークスからドラフト5位に指名され、ガッツポーズを見せる島袋投手と、喜ぶ慶田城選手=‎2014‎年‎10‎月‎23‎日 島袋投手(左)のドラフト指名をわがことのように喜ぶ慶田城選手=‎2014‎年‎10‎月‎23‎日

 興南高校のエースとして、史上6校目となる甲子園春夏連覇という偉業を達成した2010年は多くの人の心に刻まれている。それだけに高校からすぐにプロ野球への期待も高かったが、本人は「まだその域に達していない」との理由から中央大学進学を選択。誰しもが大学での華々しい活躍を想像したのだが…。

 今回は琉球放送時代から島袋を取材した中で私が感じてきた事を中心にまとめたいと思う。普段の紙面とは違ったテイストをと考えてはいるが、初めてとなるタイムスクロス。読者の皆様のご希望にどこまで添えるか。どうか長い目で見ていただきたい。

 初めて彼と出会ったのは2008年の夏の沖縄県予選準決勝。興南の1年生投手として、沖縄尚学の選抜優勝投手、東浜巨(後にソフトバンクでの先輩となる。これも不思議な縁だ)と投げ合った島袋は、猛打を誇る沖尚打線を対し、ひるむことなく真っ向勝負を挑み1点を争う好ゲームを作った。試合は僅差で興南が敗れたわけだが、選抜優勝チームを苦しめた島袋の1年生らしからぬ堂々としたマウンドさばきと試合後の初々しい笑顔とのギャップが今でも印象に残っている。

 翌2009年、春・夏と甲子園のマウンドに立ちながらも初戦敗退という苦い経験を積んだ島袋だったが、この1年間が大きかったと思う。興南OBで社会人野球の名将とうたわれた我喜屋優監督の「日頃の生活面での行いが野球にも出る」という考えの下に、選手たちは野球に限らず普段の生活面に至るまで、徹底的に鍛え上げられた。島袋ものちの談話の中で「野球人としての基礎は興南で育まれた」と語っている。

 その後の彼らの活躍は皆さんご存知なので、ここでは割愛させていただくが、あの2010年の興南の強さには日本中が舌を巻いた。春と夏の甲子園期間中、僕ら琉球放送(RBC)の取材クルーは興南ナインに密着し、練習やアルプススタンドでの応援風景を取材して、試合本記映像と合わせたVTRを沖縄に電送するわけだが、毎年甲子園の強豪校の試合に立ち会い、電送基地を準備してくれる系列局の毎日放送(MBS)さんに「ホンマ、興南の強さは次元が違うわ。阪神に何人か入ってくれへんかなぁ(笑)」と言わしめ、僕らも鼻が高かった。それだけあの年の彼らは神懸かった強さを見せつけた。

 そして高校卒業後、興南ナインのほとんどが大学進学を選択した。島袋も「プロへいく為にもっと実力をつけたい」という理由から、大学球界屈指の強豪リーグで知られる東都1部に所属する中央大学へ進んだ。無論、もしプロ志望届を出していれば多くの球団が手を挙げ、上位指名は確実だっただろう。ましてやこの後、苦しむ島袋を知っている我々としては、この時にプロに進んでいれば…という思いもごく、自然であると思う。が、しかし島袋は「プロで活躍する為には、あの時の自分では心身共に十分ではなかった。本土での生活にも不安があったし、厳しい大学リーグを通して自信をつけたかった」と大学進学の真意を語っている。