こんにちは。ついこの間までお正月だったような気がしていたのですが、あっという間に2月ですね。前回の記事から少し時間が空いてしまいましたが、今年も「島人の宝・塩」をどうぞよろしくお願いいたします。さて、今回は、沖縄が世界に誇る塩「粟国の塩 釜炊き」を生み出す沖縄海塩研究所をご紹介したいと思います。とても有名なお塩なので、きっと見たことがある方、使ったことがある方が多いのではないかと思います。知っているようで知らない、塩に秘められた物語をお届けします。 「粟国の塩 釜炊き」が生産されている粟国島は、周囲約13㎞・人口約1000人ほどの小さな島で、かつては粟の名産地であったことから粟島とも呼ばれていました。深刻な飢饉にも見舞われたことがあり、その時にソテツを利用して難を逃れたことから、今でもソテツみそなどが生産されています。さらに、1945年にアメリカ軍が上陸し、多数の死者が出たほか、建物が戦災で消滅するという壊滅的な打撃を受けましたが、その後、農業・漁業・そして製塩業という島を支える3大産業の力で、島は元気を取り戻しました。粟国島へは、那覇泊港から「フェリー粟国」に乗って約2間、または那覇空港から9人乗りの小さなプロペラ機「アイランダー」で約30分で行くことができます。第一航空が運営している路線ですが、チェックインの時に荷物を持って体重計に乗り、その重さのバランスで座席が割り振られます。運が良ければキャプテンの横の副操縦席に座れることもあります。(もちろん機器類は絶対に触ってはいけませんので、万が一座れたとしてもはしゃいで手を出さないようにしてくださいね)「いのちは海から」というキャッチコピーで知られる「粟国の塩 釜炊き」を生産するのは、サイパン生まれ、読谷村育ちの小渡幸信氏(77)。現在も現役でお仕事を続けられています。小渡氏はもともとはタイル職人で、国家資格試験の審査員も務めたほどの腕の良さで、その業界では名の知られた存在でした。そのため、沖縄海塩研究所の製塩室や作業部屋は全面タイル貼り。小渡氏自身がその腕前を発揮して作業をしたそうです。そんな腕のいいタイル職人だった小渡氏が塩づくりの道に入ったきっかけは、自身の健康状態にありました。幼い頃からあまり体力がなく身体も弱かった小渡氏は、体質改善のために自然食やヨガの勉強を始めました。自然食の研究を進めていくうちに、塩が人間の身体にとって非常に重要な役割を果たすということに気づき、そこから小渡氏の塩に対する研究が始まったのです。しかし時は1972年。沖縄が本土復帰を果たしたことで、それまで自由に製造したり販売したりしていた塩が禁じられ、イオン交換膜塩(ナトリウムのみの塩)だけを使用するようになりました。それまで泡瀬や泊で生産されていた塩はすべて製造中止となり、伝統的な塩は姿を消しました。日本の塩産業を効率化するためには避けて通れない道だったのですが、しかしやはり一方では昔ながらの自然塩の復活を求める声は多く、全国各地で自然塩の復活運動が開催されます。そして1975年、とうとう沖縄でも塩の全国から有志が集まり、「塩づくりワークキャンプ」が開催されました。当時はまだ研究目的での製塩しか認められておらず、作った塩は海に戻すという決まりになっていましたが、それでも昔ながらの塩づくりを途絶えさせてはならないと、多くの参加者が集まりました。この塩のワークキャンプを主催したのが、のちに東京と伊豆大島で「海の精」を起こす故・谷克彦氏と、のちに粟国島で「沖縄海塩研究所」を起こす小渡幸信氏だったのです。この活動は、その後の自然塩復興への大きなきっかけとなりました。小渡氏は、まだ専売制度が終焉を迎える3年前には粟国島に渡り、引き続き製塩の研究を続け、現在の製法にたどり着きました。小渡氏が長年の研究の結果たどりついた製法は、15,000本もの竹枝を使った立体タワーでした。粟国島島内では竹は収穫できないため、わざわざ沖縄本島北部のやんばるから取り寄せているといいます。竹枝を高さ10メートルから組んでタワーにし、海水をかけ流して1週間ほどかけて太陽と風の力で濃縮させ、その後、ステンレス製の大きな平釜で煮詰めて結晶させていきます。このやり方自体は、日本の伝統的な塩づくりの製法なのですが、随所に小渡氏ならではの工夫が凝らされており、また、「誰にも真似できないと思う」という煮詰め方・かき混ぜ方で、通常塩からは分離してしまうにがり成分をたっぷり含んだ塩が出来上がります。小渡氏の製造するこの塩は、平成16年にはイタリアのスローフード協会が主催し、世界130か国が集まる生産者会議に招聘されて塩に関する講演を行うなど、世界的にも高い評価を得ています。また、衛生管理にも余念がなく、製塩業では珍しいISO22000を取得するなど、日々たゆまぬ進化を続けています。また、ニューヨークにある塩の専門店の店主は、「粟国の塩の小渡氏に惚れてこの店をやろうと思った」と語っているほど、世界各国にファンを持つ塩なのです。読谷村出身であるにも関わらず粟国島で製塩を始めた理由は、粟国島の海水の美しさ以外にも、「雇用を促進したい」という思いがあったといいます。特に大きな産業資源のない粟国島では、持続して若者を雇用できる会社が少なく、過疎化の原因の一つにもなっていました。そこで、製塩を通じて、この島に定期雇用を生み出そうと考えたのです。製塩を開始した当初は鳴かず飛ばずで苦しんだり、村との予想外の対立で苦悩した時期もありましたが、その思いの通り、現在では粟国島で10名あまりを雇用する一大企業となったばかりか、世界的に有名になったことでメディアの取材も多く訪れ、粟国島を訪れる観光客の増加にも貢献しています。自身の体質改善から始まった塩の道の探求が、幾多の苦難にも負けず、何十年のたゆまぬ努力と研究を経て、今では粟国島を支える大きな産業となりました。このことは、塩づくりが盛んなほかの離島にとっても、島興しのためのよいモデル事業となるのではないかと感じています。遠いようで意外と近い粟国島。ぜひ足を運んでみてくださいね。株式会社 沖縄海塩研究所
代表取締役 小渡 幸信
沖縄県島尻郡粟国村字東8316
電話098-988-2160
見学:可能(できれば事前に電話を)

釜をかき混ぜる小渡氏

緻密に組み上げられた枝条架式塩田

「粟国の塩 釜炊き」を使った料理。マグネシウム豊富でパンやうどん作りに最適。

釜をかき混ぜる小渡氏 緻密に組み上げられた枝条架式塩田 「粟国の塩 釜炊き」を使った料理。マグネシウム豊富でパンやうどん作りに最適。