衆院選投票日の前に始めた連載だが、選挙そのものに少々関わる記述が生じる可能性があるとわかっていたので、3回目以降は選挙後に書こうと思っていた。が、それにしても、少し間が空いてしまって恐縮である。もちろんまだ続きを書くので、いま少しお付き合い願いたい。

辺野古ゲート前での「貴重な体験」

 「ゆんたくバス ピクニックツアー」の若者たちは、辺野古の海を船上から観察したあと、米海兵隊キャンプ・シュワブのメインゲート前へと向かった。そこでは座り込みの地元住民・県民、全国からの支援者らが連日、辺野古新基地建設に対する抗議・阻止行動を繰り広げている。ちょうど、前々日前日と連続してゲート前座り込みメンバーのなかに怪我人が出てしまった直後のタイミングであり、ゲート前抗議行動は熱を帯び、緊迫感が漂っていた。
 しかし、このツアーの若者たちの姿を見て、「ミスター・ゲート前」の異名をとる山城博治・沖縄平和運動センター議長はじめ、年配の参加者は、歓迎の意をはっきりと示し、このゲート前行動の意味を伝えようとしていた。

 わたしにとっては、この場に集う人生の先輩方には旧知の人も多い。けれど、このツアーには、座り込みの現場を初めて目の当たりにする若者も少なくなかった。「僕はこのへんから」と少し距離をおいて観察する参加者もいた。
 このツアーの長所のひとつとして、こうした抗議活動について、それぞれがどんな姿勢を取ろうが自由である、という点もあげられるだろう。初めての人が戸惑うのは当然。初めて眺める光景、行動に対して、いきなり賛否を表明できなくても当然。そのような、良い意味での「ゆるさ」がこのツアーの特徴とも言えるのだ。
 人生の大先輩たちは、機動隊が遠巻きに見守る中で、歌を披露してくれた。例えば元小学校教員の小橋川共行さん(72歳)が披露したのは、特別な闘争の歌ではなく、例えば「僕らはみんな生きている」で始まる童謡『手のひらを太陽に』であったりした。ゲート前へ訪ねてきてくれた若者たちの前で、小橋川さんがその歌を歌った意味は、わたしには痛いほどわかる気がしたが、果たして若者たちはどう感じたろうか。
小橋川さんとわたしは昨年2013年の8月に、宜野湾市役所前で知り合っている。オスブレイ追加強行配備に抗議して、ハンガーストライキを断行した高齢メンバー3人のうちのひとりが小橋川さんだった。平和を壊すあらゆる圧力に対して、 小橋川さんは身を挺してでも抗議する姿勢を長年貫き、一方では、若者たちとの交流など平和を築くための地道な活動をこれまた積み重ねてきている人なのだ。
 ゲート前での抗議・阻止行動に連日熱心に通う年配者には、それぞれの人生の背景があり、切実な必然性があるといえるのだが、それを一瞬で若者たちに理解しろというのも、少し無理のあるところかもしれなかった。
 そんなふうに考えるわたしの目には、ふと気になる場面があった。小橋川さんの歌をスタッフの学生メンバーのひとりが、やや遮るような素振りを見せたのだ。
 もちろん彼には悪気はない。ツアーを円滑に進行させるために、参加者たちを次の日程へと導いていく必要のある立場でもある。その場その場で時間短縮を図らねばならない。
 ただ遮られた格好の小橋川さんのちょっぴり悲しそうな憮然たる表情の意味に、少しは気付いてくれただろうか。あるいはいまからでも、その場面をちょっぴり反芻してほしい、と老婆心ながらわたしは思っている。
 今回彼らに同行取材させてもらってよくわかったことがある。ゲート前の山城さんや小橋川さんたちだけではなく、海案内をしてくれたボランティア船長たちやテント村スタッフも含め、若者たちが「現場」に来てくれることを、本当に喜ばしいと感じ、歓迎したいのだ。若者たちが自ら積極的に辺野古に足を運んでくれるという事実に、将来への希望を見いだしているのである。
 ただ、若者たちがそのことに甘んじてしまったとしたら、どうだろうか。思わぬアクシデントが生じてしまうかもしれないのだ。
 というのも、結果論であることを承知で書くのだが、わたしがふと懸念した出来事が、皆でメインゲート前から工事車両ゲート前の座り込みテントへ移動してから、なんと実際に起きてしまったのだ。