今年の2月。私たち宮城姉妹がブラジル、サンパウロのカーニバルに出場したときのこと。
那覇市の姉妹都市、サンビセンテ市を訪れました。朝から小学校を訪れ、市役所を表敬。日も暮れてほっと一息できるかと思いきや、サンビセンテ市の皆さんのおもてなしはここから本番でした。

地元サンバチームの歓迎を受け、踊りまくる私(中央)=サンビセンテ 市、2014年2月18日

熱心に打楽器の指導をするヴァグネル先生(中央奥)=10月、那 覇市民会館中ホール

地元サンバチームの歓迎を受け、踊りまくる私(中央)=サンビセンテ  市、2014年2月18日 熱心に打楽器の指導をするヴァグネル先生(中央奥)=10月、那  覇市民会館中ホール

 夜8時から日付が変わるまで、地元のサンバチームの練習を一件、二件とはしご。行く先々で、沖縄のおもてなし「かめー、かめー(食べなさい)攻撃」ならぬ、ブラジルのおもてなし?「踊れー、踊れー攻撃」(笑)。50名以上が奏でる打楽器の爆音。鳥が鳴くような独特なリズムを奏でるクイーカという楽器を持った叔父さんが、「さぁ、このリズムで遊んでごらん!」とばかりに私の腰元で高低差のあるユニークな音を刻みます。私たちもサンバダンサー。血が騒ぎます。リズムに合わせてステップを踏み、出会えた感動と一緒に踊れるうれしさを体いっぱいに表現しました。
 流石のスタミナ自慢のサンバダンサーも、サンビセンテ市の方々が用意してくださったスケジュールを全てこなし、踊りまくり、宿に着いた頃には完全にバッテリー切れ。シャワーの後、気づけばパタリと深い眠りについていました。
 翌日は、お礼を伝え、午前中は自由な時間を過ごし、午後には長距離バスで、自分たちでサンパウロまで戻る予定でしたが、「心配だから」と言って、サンパウロへの帰路も、市のワゴン車で送ってくださいました。
 旅の当初は、姉がサンバを頑張ろうときっかけをもらった思い出の場所へ、お礼のダンスを披露しに行こう!との思いで訪ねたサンビセンテ市訪問でしたが、お礼どころか、市の職員の方をはじめ、皆さんからの熱い歓迎を受け、至れり尽くせり。お世話になりっぱなしの喜びと感動に包まれた最高のツアーとなりました。
 そのサンビセンテ市での素晴らしい体験から約7ケ月たったことし9月。
 「私たちの伝統、サンバを踊り伝えてくれてありがとう。沖縄で、打楽器演奏もぜひ盛り上げてほしい。そして、より多くの皆さんにサンバを知ってもらいたい」。
 そんなメッセージと共に、サンビセンテ市から那覇市の交流事業で沖縄にやってきたのが、現地の子ども達との交流時に演奏の指揮を執ってくださっていた、サンバのプロフェッショナル、ヴァグネル先生だったというわけなのです。
 これはヴァグネル先生から後日聞いた話ですが、私達の帰国後も「何故、日本人なのに、あれだけサンバが踊れるんだ?」「彼女達はブラジルに住んでいるの? どこでサンバを習得したの?」等、巷でちょっとした話題になったそうです。「沖縄にも私達の文化を理解して踊れる人達がいる。そこに多くの可能性を感じた」と仰ってくださいました。
 これまでの那覇市とサンビセンテ市の交流事業は、「人材育成」を目的として、主には幼稚園教諭の交流が慣例となっていたようですが、このように自国の文化に特化した、サンバのプロフェッショナルな先生が来たのは、32年間続く事業の中では初めてのことでした。

サンバダンスで感じる事ができた喜びがまた、国と国を繋ぐきっかけに、少しでもなれたのなら、こんなに嬉しい事はない! そんな思いで今、私は姉と二人、ヴァグネル先生を囲み、ここ沖縄で、サンバ漬けの日々を送っています。ヴァグネル先生が来てから、私たちの意識も大きく変わりました。サンバを通して、人の心が動き、新しい時代の形が生まれる。改めて、サンバがブラジルの人々にとって大切な文化と知ると共に、私たちも歴史や絆の深い、他国をより多く学ぶことは、文化の継承・発展以外にも、経済、社会へと影響を与えられるような、そんな広がりを感じるようになりました。
 ブラジルのサンバカーニバル出場、サンビセンテ市での文化交流の夢がかなった私たち姉妹に、すでに新たな夢があります。那覇の街、国際通りで繰り広げる、サンバの「オキナワンカーニバル」の開催です。

 ヴァグネル先生! その時に向けて、今日も厳しい練習指導、宜しくお願いします。