沖縄も暑さが和らぎ、散策に最適な時期になった。県内外から散策しながら撮影をする観光客の姿も増えてきた壺屋。一歩入ると、すーじ小と呼ばれる路地が戦前の面影を残し風情のある光景が広がる。昔は馬車も通ったと言われるすーじ小をそぞろ歩きながら名所をご紹介したい。

樹齢200年以上の大アカギ

国吉秀健作氏作チブルシーサー

県指定有形文化財の南ヌ窯

個性的な赤瓦が目を引く工房

戦前から残る石垣

樹齢200年以上の大アカギ 国吉秀健作氏作チブルシーサー 県指定有形文化財の南ヌ窯 個性的な赤瓦が目を引く工房 戦前から残る石垣

 昔はメインストリートであった「いしまち通り」は石垣がオオイタビに覆われた細い路地だ。ひときわ目を引くのは樹齢200年以上と言われるオオアカギ。台風で枝が折れることもあるが、その分、木のエネルギーが蓄えられるのかすぐに樹勢は再開し衰えることはない。オオアカギ近くにある古民家を改装したそば屋のシーサーがパワーを与えているのではという話もある。

 壺屋の歴史は古く、琉球王国時代に王府から焼き物の町として制定された。那覇市立壺屋焼物博物館横にある登り窯の南ヌ窯(フェーヌガマ)は琉球王府拝領窯として知られるが、釉薬をかけずに焼く技法「荒焼(アラヤチ)」用の窯として唯一壺屋に残る窯で、1960年代まで多くの作品が生み出されたそうだ。

 いしまち通りには古い家屋や石垣も残るが、1944年の10月10日に那覇市は大空襲にみまわれて約9割が全焼する多大な被害を受けた。緑多い壺屋は奇跡的に被害を免れたため、1945年11月に陶工約100名が戻り、家屋を直しながら生活に必要な器を作り、無償で住民に配ったそうだ。

 その後映画館や警察署や劇場などもでき、壺屋は那覇市内の復興のスタート拠点となった。市役所跡には今でも石碑が残る。

 壺屋は水が豊富な事でも知られ、各地に井戸があり今でも健在だ。ひめゆり通り沿いにある「東ヌカー」は壺屋の一番東側にあり、共同井戸として最初に掘られたもので、年代を感じさせるが、今でも使用可能な手押しポンプからは水が湧き出て、夏は近所の子供たちの遊び場となっている。拝所としても大切にされていて、住民らが静かに拝む姿を見かける事も多い。

 オリエント地方から伝わったと言われるシーサーは魔除けとしても有名。石畳通り向かいには高さ3メートルを超える陶製の巨大な「壺屋うふシーサー」が鎮座し、壺屋の町を見守っている。この地域は以前、バスターミナルがあり、市場の買い物客にも利用されていたそうだ。昔は「神里原(かんざとばる)」とも呼ばれ、桜坂界隈と共に繁華街として賑わったそうだ。うふシーサーの「うふ」とは方言で「大きい」を意味するが、同じ時期に作られ兄弟分である陶器製の「さいおんうふシーサー」もまた、モノレール牧志駅から町を見守っている。

 すーじ小を離れ石畳を歩いて行くと、焼き物博物館近くに「厨子(ジーシ)」を販売する店がある。「厨子(ジーシ)」は骨を収める器の事で、沖縄では昔亡くなった人の遺体を安置しその後洗骨してから厨子に収める習慣があった。蔵骨器は主に家の形をした「御殿(ウドゥン)」型と甕の形をした甕型の2種類がある。死後の世界の極楽浄土では大きな屋敷に住みたいという願望もあってか庶民でも大きな厨子を作った人もいるそうだ。

 壺屋焼物博物館では今月21日まで、「沖縄宗教藝術の精華 厨子-門上秀叡・千恵子コレクション収蔵記念特別展」が開催されている。普段滅多に見られない石厨子などもあるので是非足を運んでほしい。入場無料。問い合わせは那覇市立壺屋焼物博物館、電話098(862)3761まで。

※参考文献:「壺屋焼入門」(倉成太郎著、ボーダーインク発行)「沖縄焼物のふるさと」(壺屋やちむん通り会発行)