はいた~い。スタイリストの知念美加子のコラム「うちなーんちゅ、おしゃれ道」が始まりました。スタイリストのことや、沖縄のファッションなどについて、マイペースにつづっていきます。1回目は、私がスタイリストになるまでの道のりをお伝えします。

【22歳、オーストラリア留学から帰国後に働いていた子ども英会話教室の生徒たちとの最後の授業で。たくさんの事を学ばせて貰った場所】

【アシスタント時代、初めて作った作品。がむしゃらに、必死だったころを思い出す大切な一枚】

【大好きな、そして尊敬して止まない師匠の大田由香梨さん(右)と。私が今こうしてスタイリストとして存在するのは由香梨さんと出会ったからこそ。感謝しかありません】

【台湾でお仕事することも。スタイリングアドバイスをしているとこです。】

【22歳、オーストラリア留学から帰国後に働いていた子ども英会話教室の生徒たちとの最後の授業で。たくさんの事を学ばせて貰った場所】 【アシスタント時代、初めて作った作品。がむしゃらに、必死だったころを思い出す大切な一枚】 【大好きな、そして尊敬して止まない師匠の大田由香梨さん(右)と。私が今こうしてスタイリストとして存在するのは由香梨さんと出会ったからこそ。感謝しかありません】 【台湾でお仕事することも。スタイリングアドバイスをしているとこです。】

■憧れのマンガ「ご近所物語」


 スタイリストという仕事を知ったのは、小学4年生の時。矢沢あいさんのマンガ「ご近所物語」でした。高校生の主人公が、デザイナーになって、自分の店を持つという夢に向かって奮闘するストーリーです。アニメにもなるほど大人気マンガ。その影響で、デザイナーに憧れる友達がたくさんいました。私も憧れましたが、みんなと一緒なのは嫌で、同じファッションの業界でも、衣装やアクセサリーを集めて、場面に合ったコーディネートをするスタイリストになりたいと思うようになっていきました。
 でも、どうやったらなれるのでしょうか? 小学校の授業で、将来の仕事について調べましょうという時間があったので、インターネットや図書館で調べたのですが、そもそもスタイリストという職業が見当たりません。その後も、調べていましたが、はっきりしたなり方は分かりませんでした。
 その後もファッションに関わる仕事に就きたいという気持ちは強くありました。でも、ファッションの仕事に就けるのは一握り。まずは、どんな職でも就けるように、普通科のある那覇高校に進学しました。3年間、何になろうかと考える毎日。周りの友達は、大学合格を目指して勉強に励んでいました。先生も進学を勧めてくれましたが、私は、好きなことのために勉強はできるけれど、ただ勉強することは苦手。とりあえずの進学は、時間が無駄になるだけじゃないかと思って、選びませんでした。

■経済苦で進学断念


 一時期は歯科衛生士を目指して、大学や専門学校のオープンスクールに行ったりもしました。でも関心があるのはやっぱりファッション。美容学校に行こうと思って親に相談したところ、「金銭的に余裕がない、学費は全部、自分で出しなさい」と言われました。専門学校は、学費が高い上、私が希望していた美容学校は卒業までに400万円もかかります。高校生の私にとって、高額。進学は、泣く泣く断念しました。
 ファッションに興味がある同級生たちは、ファッションや美容の専門学校に進学を決めていました。卒業式の日、進路が決まっていない私は、とても悔しかったのを覚えています。みんなは進学できるのに、私はできない。その時、みんなが学校を卒業する2年後には、みんな以上の仕事を見つけて、就職しようと心に決めました。
 卒業してからは、フリーターです。爪が伸ばせて髪も染められて私服で出勤できるようなファッションが楽しめるお店を探したところ、那覇市の国際通りにある香水専門店とアクセサリーショップが見つかりました。それからは、掛け持ちのアルバイト生活。とにかくお金をためて、就職につながる何らかのアクションを起こしたかったんです。よく、「ファッションが好きなら、なんでアパレルでショップ店員をしないの?」と聞かれましたが、ショップ店員は、お店の洋服を着ることが基本。自分の好きなファッションをしたかったので、最初から働き先の候補に入れていませんでした。