沖縄では巨人戦が見られないことが時々ある。辛うじてBSで見られても先日の阪神とのクライマックスシリーズは、なんと夜7時で放送終了。あとは地上波を見ろ!ということだが、沖縄では見られません。ということで、NHKのラジオを聴きながら巨人を応援。...と相成ったものの、ホームの東京ドームでまさかの4連敗。リーグ3連覇などどこへやら。巨人の2014シーズンはあっけなく終わってしまった。

重松清著『赤ヘル1975』(講談社)

 しかし今回改めて思ったが、負けたら終わりのポストシーズンのプロ野球を映像が無いラジオの前で応援するというのは、また乙なもの。余りにも弱すぎた巨人だったからプレーを見てしまうと悲しくなるので、かえって良かったかもしれない。

 さて、その年のプロ野球界を締めくくる一大イベント「日本選手権シリーズ」。ファンは、その勝敗の行方に一喜一憂する訳で、ラジオやテレビ前で釘付けになる。私も勿論その一人で、昔は、大学の授業中にラジオを持ち込みイヤホンで聴いたり、学校をサボって徹夜で並び、眠気と戦いながら後楽園球場で江川卓の最後の勇姿に声援を送ったものだ。

 もっと小さい頃の思い出もある。小学校の教室にはテレビがあったが、見られるのは道徳の授業時の教育テレビだけ。ビデオなんてまだ存在しない時代だからテレビは普段はただの箱だった。しかし、今でも忘れられないのが、小学校1年の時の宮田先生。何かの用事で私を含め数人が土曜日の午後に学校に残っていたのだが、「見たいでしょ」と言って日本シリーズを見せてくれたのだ。「阪急―巨人戦」だったと思うが、試合内容は全く覚えていないのに、あの時の情景と一緒に食べたメロンパン、当時は珍しかったコンタクトレンズを外す先生の様子が何故か記憶に残っている。

 プロ野球を実際に球場で見られる人はほんのひと握りのファンだけ。当然、ラジオやテレビを通して応援する訳だが、そんな様子が、輝きと煌(きらめ)きと悲しみと笑いとともにリアルに伝わってくる、ある一冊の本に最近出合った。

 重松清の『赤ヘル1975』。

 原爆投下から30年。広島カープが悲願の(このチームほど、悲願という言葉が似合う球団はない)初優勝を飾った年に、酒屋の子でやんちゃな野球少年のヤス、熱狂的カープファンのユキオ、東京から引っ越してきてきたマナブという広島の中学生3人を主人公に、原爆投下から30年経っても苦しみ続ける市民たちが、広島カープという球団に初優勝への夢を託した1年間の思いが詰まった500ページを越える長編青春小説だ。

 まず、何といっても野球資料としても大変参考になる1冊で、1975年がどんなシーズンだったか、広島という球団がどんなチームだったかが非常によくわかるのだ。この本の中で紹介されているエピソードをいくつか紹介すると...。

1 日本プロ野球史上初めてのアメリカ人監督、ルーツが就任した年。
2 戦う姿勢を表すため、帽子を青から「赤」に変えたのがこの年のルーツ監督。
3 4年連続最下位を免れるため、ルーツ監督は、カープ生え抜きだった安仁屋宗八投手を阪神にトレードで出してしまった。
4 阪急から獲得した、宮本幸信投手が判定に激怒。主審に飛び蹴り(しかも両足を揃えた華麗なドロップキック)をお見舞いし退場。宮本は「キックの宮」として名を馳せ、カープの一員として認められた。(この本で一番笑えた場面です)。観客も暴れ、中日の送迎バスのタイヤから空気を抜いて選手を車内に閉じ込めた。ルーツ監督は、「あの闘争心をナインに植え付けたい」と飛び蹴りの写真を監督室に飾った。
5 カープは5月のこいのぼりの季節が終わると失速するのが常だったが、1975年は5月17日に那覇で行われた大洋との試合に勝って2年ぶりに単独首位に立って勢いに乗った。(立ち呑み屋のおっちゃん達が「安仁屋がのう...。安仁屋に錦を飾らせてやりたかったのう」と、かつてのエースを思うシーンが泣ける)