琉球王国時代より続く那覇大綱挽(おおづなひき)。歴史は古く、発祥は1450年代頃と言われている。交易都市として栄えた那覇と周囲の村々と共に、更なる発展を願い挽かれ、明治以降はお祝い綱として幾度も開催されるが、1935年を最後に途絶え、戦後の1971年に市制50周年記念事業として那覇市の東・西町が戦時中に壊滅的な被害を受けた10月10日(10・10空襲)に復活した。

壺屋の守り神、一番旗の「牡丹」と二番旗の「炎」

華鳳会(青年部)のメンバー

ビンジュルグヮーでの子供たちの練習風景

ブラー(ホラ貝)の練習に励む子供たち

波の上宮300年祭奉納綱挽きの写真

子供たちの心強い指導者(向かって右から仲村元博さん、高江洲哲さん、大宜味朝秀さん)

旗頭の練習の為に作られたタイヤつきの竿

練習に励む青年たち

重い竿の下部をささえるメンバー

会長の小底英光さんと高校生の高宮城順輝くん

壺屋の守り神、一番旗の「牡丹」と二番旗の「炎」 華鳳会(青年部)のメンバー ビンジュルグヮーでの子供たちの練習風景 ブラー(ホラ貝)の練習に励む子供たち 波の上宮300年祭奉納綱挽きの写真 子供たちの心強い指導者(向かって右から仲村元博さん、高江洲哲さん、大宜味朝秀さん) 旗頭の練習の為に作られたタイヤつきの竿 練習に励む青年たち 重い竿の下部をささえるメンバー 会長の小底英光さんと高校生の高宮城順輝くん

 今ではギネスブックに世界最大の藁(わら)綱と認定され、多くの観光客も参加するようになり、那覇市の観光の目玉ともなっている。綱挽が行われる際、行列の先頭に、村のシンボルで守り神として「旗頭」も参加する。村の繁栄を願い、趣向をこらした旗頭は村の旗印でもあり、勇壮に旗を踊らせる旗持ちは男子一生の誉れとも言われ、とても名誉ある役だとされる。

 壺屋の旗頭は戦前より存在し、一番旗は「牡丹」(ぼたん)で、旗字は「華鳳」(かほう)。牡丹の花には壺屋の町が永遠に美しく平和な町であり、鳳凰の如く優雅に世の中へ飛び立つ姿を願ったもので、二番旗は「炎(ふぬう)」。伝統ある焼物の町で炎により命を吹き込まれた壺をイメージし、旗字は「翔竜鳳雛(しょうりゅうほうすう)」で、雛(ひな)鳥が鳳となり竜のように天空を飛来する様を表現したものだ。

 壺屋地域の子供や青年たちで結成される「華鳳会」(かほうかい)では旗頭や太鼓、鉦子、ブラー(ほら貝)の練習が8月ごろから行われている。最大聖地「ビンジュルグワー」には、夕方から子供たち、夜は大人が連日集まり、10月12日に開催される那覇大綱挽に向けて日々練習を重ねている。

 幼稚園から中学生までの子供たちが担当するのは印旗や太鼓、鉦子、ブラーなどの鳴り物です。「サー、サー、サー、サー」というかけ声に合わせリズミカルに器用に打ち鳴らす。親子2代やきょうだいで参加している子も多いそうだ。ブラーは音がうまく鳴るまで苦労するようで、小学校高学年の担当だそうだ。

 休憩の合間には、先輩である華鳳会の教育担当者がコツを教える姿もみられた。仲村元博さん(65歳)は「本番は炎天下の中長時間演舞しなくてはいけないので体力勝負。少子化の影響で子供の人数は少なくなってきているが、最近は壺屋や近隣地域だけでなく県外からの参加するメンバーも増えてきた。華鳳会に惚れ込んで親子2代で参加する人もいるので指導にも熱が入る」と語る。