皆さんは、どのように言葉を習得しましたか? 音のない世界で生きる私にとって、言葉を習得するのは、とてもとても長い道のりでした。
 聞こえる人は、小さなころから、家族や親せき、先生や友達に囲まれて、言葉を聞いて覚えて話して、自然と日本語の正しい文法や会話の流れなどを身につけてきたと思います。でも、聴覚障がい者は、文法や会話が耳に流れてこないので、自然に身につけることはできません。

先生が口から吐き出す息の強弱を手で感じ取って、発音の練習をしているところ。

ろう学校幼稚部のころ。母と言葉をたくさん勉強して発表した紙芝居。

【私の愛読書。悩んだりつらいことがあったりするとページをめくります】

【幼稚部から小学校低学年までぼろぼろになるまで使った『ことばえじてん』】

先生が口から吐き出す息の強弱を手で感じ取って、発音の練習をしているところ。 ろう学校幼稚部のころ。母と言葉をたくさん勉強して発表した紙芝居。 【私の愛読書。悩んだりつらいことがあったりするとページをめくります】 【幼稚部から小学校低学年までぼろぼろになるまで使った『ことばえじてん』】

■“四感”をフル回転


 「リンゴ」という言葉を覚えるには、リンゴを目で認識することから始めます。次に、リンゴそのものを手に持って重みを感じ、鼻で匂いをかぎ、そしてリンゴをかじって甘酸っぱさを味わう。四感をフル回転することで、「リンゴ」という言葉を覚えることができるのです。
 「おかわり」の言葉を覚える時は、母がこんなふうに教えてくれました。ある日、私のお茶わんには、少しの量しかご飯が入っていませんでした。他の家族は普通盛り。当然、少ししか入ってない私はもっとご飯を食べたいわけです。その時、母にお茶碗を差し出すと、母が「おかわり」という言葉を教えてくれました。言葉と行動が結びつくと、言葉はスッと頭にはいってくるのです。

■「雪」を覚える


 ろう学校幼稚部のころ。紙芝居を使って、言葉を学習する時間がありました。物語を選んで、親子で紙芝居用の絵を描いて、文章を覚えて、みんなの前で発表するというものです。私は白雪姫を選びました。
 でも、白雪姫の名前にある「雪」は、沖縄では降りません。母は、沖縄では“四感”で理解できない雪を教えるために、冬の滋賀県まで連れて行ってくれました。
 滋賀はとても寒く、雪が降り、道路には雪が積もっていました。私は寒さを肌で感じ、しんとした空気を吸い、空から降ってくる雪を触りました。そのおかげで、私は「雪」が分かるようになり、紙芝居の披露も無事に終えることができました。
 それから数年後の冬。小学生になった私は、登校途中、高台にある学校を見上げました。すると、校舎の周りに白いもやがかかっていたんです。私はそのもやを見て、母に「寒そうだね~」と言ったところ、母は「雪」を教えるために滋賀まで行ったことは無駄では無かったと思ったそうです。雪という言葉を体験を通して理解できたからこそ、新しく出合った冬の気象現象が、これまでの知識とつながって、もやを見て、「寒い」という言葉が出てきたからです。
 聞こえなくても、視覚と言葉がつながれば、感性もさらに豊かになります。言葉を一つ一つ、丁寧に教えてくれた母や家族や先生方に感謝しています。

■希望をくれた本


 小学生の頃、言語学級の先生に「漫画や本をいっぱい読むように」と言われました。漫画は、具体的な場面が描かれた絵に、言葉が書かれているので、聞こえない人が言葉を獲得するためには、とてもいいツールなのです。読書家の母のおかげで、小さいころからたくさんの本に囲まれて、いつでも本が読めました。学校が終われば、近所の図書館に通って、宇宙、ミステリー、心理、経済など、色んなテーマの本を読みました。語彙(ごい)が増えるにつれて、本は、私に希望を与えてくれる存在にもなっていったんです。
 「なぜ、私は耳が聞こえないの?」「なぜ、みんなからかってくるの?」という疑問や周りからの気になる視線を感じて、「私は生きていてはいけないのだろうか」と強く思うことがあります。死ぬまで障がいと付き合っていかなければならない私にとって、社会で生き残れるすべを探しながら、この先に何があるのだろうか、自分の幸せを得られるのだろうかと、生きる意味を考え続けています。
 特に、幼いころは、善悪の判断がまだ身についてない中、親や周りにもなかなか自分の心を打ち上げられず、自問自答しながら、コンプレックスと戦っていました。周りに迷惑をかけないように良い子に、おとなしくしていようと、自分の気持ちを抑え、真っ暗な闇を希望という光を探し求めていたような毎日でした。そんな時、本は教えてくれるんです。特に、私が影響を受けたのが手塚治虫の漫画「ブッダ」でした。
 「大事なことはおまえ自身がしっかり生きていくことだ」(「ブッダ 第6巻」手塚治虫、潮出版社、P237)「自分のしていることは自分にとって大事なことなのか 人にとって大事なことなのか そして大勢の人にとって大事なことなのか! 国じゅうの人にとって大事なことなのか 世界の人にとって大事な事なのか この自然にとって あらゆる生きものにとって大事なことなのか よく考えなさい」(「ブッダ 第5巻」手塚治虫、潮出版社、P214、215)
 これらを読んで、私は生きていてもいいんだと安心したのを覚えています。意味があって生まれてきたこと、良いことも悪いことも全てに意味があるんだと。それならば、私にしかできないことはなんだろうと探し始めて、今に至ります。
 ただ、言葉の一つ一つを四感から身につけていくので、言語習得のスピードは、家庭や教育の環境によって、個人個人で違いますし、聴覚障がい者みんなが、言語を同じように習得できるわけではありません。ここで、大事になってくるコミュニケーション手段が「手話」なのです。
 次回は「手話」についてお伝えします。