プロ野球のキャンプやセリーグの公式戦が沖縄で行われることは今や当たり前。今年は巨人の公式戦も1試合だけではあったものの何とか開催されました。そんな中、まさかのニュースが飛び込んできました。ナント!11月に那覇で日米野球が開催されることが決まったのです。すごい時代になったものです。

日米のスーパースターが出場した=1996年、東京ドーム

Aロッド選手(右)と記念撮影する筆者=1996年、東京

名刺の裏に書いてもらったリプケンの直筆サイン

日米のスーパースターが出場した=1996年、東京ドーム Aロッド選手(右)と記念撮影する筆者=1996年、東京 名刺の裏に書いてもらったリプケンの直筆サイン

昔、私がまだ東京で働いていた頃、2年に1回くらいのペースで日米野球が開催され、TVで見ていたバリバリのメジャーリーガーが日本人選手と対戦する試合を目の前で見ることが出来ました。というよりラジオでも生中継したので、仕事としてウエルカムパーティー、事前取材、試合後の会見、スタジオ生出演など、ありえない頻度で選手たちと触れ合うことが出来たのです。

特に思い出に残っているのが1996年の日米野球。この時の来日メンバーがすごかった。鉄人「カル・リプケン」、ジャイアンツの主砲「バリー・ボンズ」若きスラッガー・Aロッドこと「アレックス・ロドリゲス」、そして、野茂とピアザのドジャースバッテリーなどなどそうそうたるメンバー。他にもガララーガ、シェフィールド、フリオ・フランコらスーパースターが勢ぞろい。野茂がドジャースで大活躍した翌年の大会だったので、メジャーリーグに対する日本の野球ファンの興味関心が特に強い時期でもありました。

試合前日に東京都内のホテルで行われたウエルカムパーティーには、ボンズやAロッドも来場。特にマリナーズのAロッドは、当時21歳。その若さでHR36、123打点。打率3割5分8厘で、史上3番目の若さで首位打者のタイトルを獲得するなどブレイクした年でした。ただ、ゲームを離れスーツ姿のAロッドは、普通の気さくなニイちゃんという感じで、暇そうに立っていた彼に声を掛けるとフランクに話してくれたものでした。

「初めまして、東京のラジオ局の者です。」
「ハーイ!」
「僕、何歳だと思います?」(合コンか?)
「ウーン、20歳くらいカナ?」
「いえいえ、あなたより6歳も年上ですよ」
「リアリー?? シンジラレナーイ。子供みたいデスネ」
「おいおい、お前なめてんのか!敬語使えっつうの! あっ、通訳さん、今のは訳さないで下さい。あははーサンキューサンキュー ロドリゲスさん、握手してください~ 明日から頑張ってね~」
「サンキューサンキュー」
「一緒に写真撮っていいですか?
「OK!OK!」
こんな感じで誰とでも気軽に話してくれた、Aロッド選手でした。