キリキリする胃、くらくらするめまい、止まらない吐き気、頭痛…。我慢できずに駆け込んだ病院で、自律神経失調症と診断されたのは、23歳の時でした。
 思うように体が動かない、薬を飲んでも治らない。一生懸命仕事に打ち込んでいるのに、なんでこんなことに…。実は、起業家支援イベント「楽しんじゃってくだ祭」を始める原点は、20代から30代にかけて悩まされたこの病気にあります。

お客様にリンパセラピーを施術中

オープンしたリンパセラピーサロン

一人一人に手渡す手書きの教本。イラストも自分でコツコツ描いています

お客様にリンパセラピーを施術中 オープンしたリンパセラピーサロン 一人一人に手渡す手書きの教本。イラストも自分でコツコツ描いています

 ■回復するも環境の変化で再発

 薬学部を卒業後は、薬剤師国家試験の予備校に就職し、講師として働いていました。連日、帰りは深夜。国家試験の3カ月前になると、休日は月にわずか2~3日。1人でも多く合格してほしくて、食事よりも仕事、睡眠よりも仕事、プライベートよりも仕事を選んでしまう“仕事人間”。
 しかし、ある日のこと。教壇に立っていると、ひどいめまいに襲われ、倒れてしまいました。さらに1日中しゃべりっぱなしのため、風邪をこじらせ、声帯も痛めてしまっていました。仕事はドクターストップ。治療に専念するため、講師の仕事を泣く泣く辞めました。
 規則正しい生活を送るために転職し、心療内科に通う生活が始まりました。薬を飲み、起きる時間、寝る時間も規則正しく、食事もバランス良く…。仕事をしたい気持ちを抑えつつ、精神安定剤や漢方薬、胃腸薬など4~5種類の薬を服用し、療養を続けました。
 2~3年かけて、ようやく激しいめまいや吐き気から回復してきたころ、沖縄出身の薬剤師の男性と結婚することになりました。北九州で生まれた私にとって、初めての県外。希望と不安が交錯する中、沖縄での生活がスタートしました。
 夫の実家は、漢方薬や健康食品などを取り扱う健康相談薬局。私も一緒に働くことになりました。しかし、住んだこともない沖縄。知り合いも全くおらず、文化も気候も風習も異なります。慣れ親しむには、時間が必要でした。
 例えば、新暦ではなく、旧暦に合わせた行事の数々。清明祭(シーミー)、お盆などの行事は、決まり事ややり方が分からず、かなり戸惑いました。行事で使う食べ物が店頭に並べば、意味や使い方を尋ね、神棚や仏壇のこともお店に通って教えてもらいました。ウチナーグチ(沖縄の方言)が分からずにおろおろすることも。
 そして再び、あの症状が襲ってきたのです。頭痛と吐き気、体のだるさ…。結局、療養生活に逆戻り。
 そんな中、我が子を授かりました。しかし、喜びもつかの間、子宮内出血が見つかり即入院。2週間の入院後、我が子の心臓が止まり稽留(けいりゅう)流産。それからは、ショックを振り払うかのように、仕事、仕事、仕事。その3カ月後、まだ体調が本調子に戻ってないながらも長男を授かりました。
 しかし、また子宮内出血で即入院。医師には、もしも治療がうまくいかなかった時は、子供はあきらめてくださいと言われました。不安を抱えながらの妊娠生活で、長い入院生活になりましたが、家族の支えもあって無事、出産を迎えることができました。

 ■リンパセラピーとの出会い

 いよいよ子育て開始です。健康相談薬局で働きながら、家では離乳食づくり、家事と24時間フル回転。しかし、まだめまいや吐き気は続いていました。解放されたい、解放されたい、ともがいている時、自律神経失調症の原因が、栄養バランスの崩れにあることや、さまざまな不快な症状は体内の老廃物にあること学んだのです。
 そして、運命の出合いは、長男、長女の出産から、2年後にやってきました。老廃物を体外に排出するための手技「リンパセラピー」を薬局のお客様に教えてもらったのです。ちょうど自宅近くにスクールがあり、通うことにしました。先生や家族の協力もあって、無事にリンパセラピストの資格を取得。そして、新たな目標が生まれました。