沖縄タイムス社と福島民報社は、2月から合同企画「二つの故郷 国策のはざまで」の連載を続けている。
 取材対象は、沖縄在住の福島出身者や福島在住の沖縄出身者といった、沖縄、福島の両県にかかわる人たちだ。基地や原発と隣り合わせの生活を肌で知り、国策に翻弄されてきた人々の目に、国の行く末や民主主義の内実はどう映っているのか。それぞれの個人史に寄り添いながら、生活の中で国策と向き合わざるを得ない地域住民の思いを丹念に紹介するのが企画の趣旨だ。
 筆者はデスクとして企画の立ち上げ段階からかかわっている。合同企画の経緯や狙いについて紹介したい。
 地方紙どうしの合同企画に関して沖縄タイムス社は、2005年に神奈川新聞社との2社合同企画「米軍再編を問う 安保の現場から」、2010年に神奈川新聞社、長崎新聞社との3社合同企画「安保改定50年 米軍基地の現場から」で、長期連載に取り組んできた。いずれも在日米軍基地を抱える地方紙間の連携で、安全保障政策をテーマにした企画だ。各地域で起きた具体的な事象を「横串」にすれば、おのずと通底する同根の課題が浮き彫りになった。
 だが今回は、そうはいかない。明治政府によって日本に編入された沖縄は、苛烈な地上戦や米軍統治を経て、今なお過剰な米軍基地の負担にあえいでいる。一方、福島は近代以降、首都圏への電力供給地としての役割を担い、2011年3月の福島第一原発事故後は放射性物質との格闘を余儀なくされている。
 安全保障政策もエネルギー政策も国の根幹をなす「国策」だが、政府の向き合い方や歴史的経緯も異なる沖縄の基地と福島の原発を、安易に同一テーマとして括るわけにはいかない。

■安倍首相の五輪招致演説が影響

 では、なぜ沖縄と福島なのか。
 「福島」にこだわったのは、昨年9月の安倍晋三首相の五輪招致演説が大きく作用している。安倍首相は福島第一原発事故の汚染水漏れ問題について「状況はコントロールされている。私たちは決して東京にダメージを与えない」と述べた。
 福島の人たちがこれを聞けばどう思うか―。常識のある大人であれば当然抱くはずの感性が、首相や側近には働かなかった。福島の人々を傷つけることになっても、多数派の支持が得られればよい、東京五輪招致という国民多数の期待や利益が優先されるべきだ。そんな価値観が露骨に透けて見えるようだった。
 筆者には、これがもう一つの光景と像を結んだ。
 安倍政権は昨年4月28日、1952年のサンフランシスコ講和条約発効から61年を機に、「主権回復の日」式典を都内で開催した。
 52年の講和条約発効で日本は国際社会に復帰したが、沖縄は日本から切り離され、72年の本土復帰まで米軍支配下に置かれた。沖縄で4月28日は「屈辱の日」と呼ばれている。
 沖縄タイムスなどが式典開催を前に沖縄県民を対象に行った世論調査で、式典を「評価しない」との回答は69・9%に上った。政府が全都道府県知事を式典に招待したことへの沖縄県の対応をめぐっては、59・6%が「だれも出席すべきではない」と答えた。
 「評価しない」と答えた人のうち、最も多かった理由は「沖縄にとって屈辱の日だから」で53・9%。次いで「沖縄の主権は回復しているとはいえないから」が39・7%だった。
 復帰から40年以上経過してもなお、広大な米軍基地が残る沖縄の歴史と現実を反映した格好になった。
 仲井真弘多知事はこうした県民感情に配慮して政府式典を欠席し、副知事が代理出席した。沖縄県内では同日、政府式典に抗議する集会が開かれ、主催者発表で1万人が参加した。
 民主主義を「多数決がすべて」という論理で捉えれば、沖縄や福島の声は容易にかき消される。弱者や少数者の声も可能な限りくみとるのが成熟した民主主義ではないか、と筆者は考える。だがこうした認識は、国家主義的傾向の強い安倍政権下でますます色あせる方向に進んでいるように思う。