現在は「那覇まちま〜い」のガイドとして壺屋地区を担当しているが、十数年前に神奈川県から移住してきた際、壺屋を選んだのは本当に偶然だった。恥ずかしながら焼物にあまり興味が無かった自分が、今ではこの町とそこに暮らす人々の魅力にすっかり取り付かれている。今回は伝統ある焼物の町、壺屋をご紹介する。

昔の陶工の屋敷『新垣家』に鎮座するチブル(頭)シーサー

王府からの拝領窯「南ヌ窯」は県指定有形文化財

戦前から残る、路地(スージグヮー)

壺屋最大の聖地『ビンジュルグヮー』。高台から町を見守る

若い女性陶工による窯詰め作業

壺屋の町を盛り上げようと日々努力している陶工たちは信頼し合い、絆も強い

昔の陶工の屋敷『新垣家』に鎮座するチブル(頭)シーサー 王府からの拝領窯「南ヌ窯」は県指定有形文化財 戦前から残る、路地(スージグヮー) 壺屋最大の聖地『ビンジュルグヮー』。高台から町を見守る 若い女性陶工による窯詰め作業 壺屋の町を盛り上げようと日々努力している陶工たちは信頼し合い、絆も強い

 壺屋は、琉球王国時代王府の命により宝口窯(首里)、知花窯(現沖縄市)、湧田窯が統合され、焼物の町として誕生した。300年以上たった今でも王府から拝領した「南ヌ窯(フェーヌガマ)」などが残り、落ち着いたたたずまいをみせている。白く、美しい石畳の道には窯元達こだわりの作品を販売する店が立ち並ぶ。メインである通りから一歩細い路地(スージグヮー)に足を踏み入れると那覇とは思えない程静かで緑豊かな空間が広がる。

 石垣がツタやイタビなどに覆われた路地は方言でイタビを表す『いしまち』通りとも呼ばれ、昔は荷車を引いた馬車が通っていたそうだ。樹齢200年以上といわれる大アカギは今でも樹勢が衰えることなく見事だ。住民による生け垣の植栽も美しく、初夏には蛍も飛び、趣のある風景が見られる。終戦前、那覇は米軍の空襲により、東町と西町が大打撃を受けた。奇跡的に被害を免れた壺屋は戦後の那覇が復興を開始する最初の場所となった。

 路地を進むとひときわ高いガジュマルがそびえる御嶽「ビンジュルグヮー」がある。土地や集落を守る村建ての神とビジュル(霊石)を祀る壺屋の最大の聖地だ。『全ての行事はここから始まり、ここで終わる』と言われていて、行事の前の祈願などが行われ、町民により大切に守られてる。

 工房をのぞくと、シーサーや皿など作品を黙々と造る職人達の姿が見られる。ロクロなど型の整形から絵付けまで作業を分担し行うが、一つ一つ全て手作業。『何事も経験』と笑う窯元の手先からは寸分違わない形で器が次々と出来上がる。作品は乾燥、絵付け等を経て最後に窯で焼かれる事により焼物(やちむん)として命を吹き込まれる。