Muito Prazer!(ポルトガル語で「はじめまして」)。南米ブラジルのサンバの魅力にとりつかれたサンバダンサーのYayo(やよ)です。2009年に沖縄で唯一のサンバチームを発足させ、本場ブラジル・サンパウロのカーニバルで日本人初の姉妹パシスタ(花形ダンサー)として出場し、2013年はCDデビューも果たしました。

2009年、サンバを習い始めたころ。(前列左)

“カリスマ”Jin先生と初めてのイベント共演

2009年、サンバを習い始めたころ。(前列左) “カリスマ”Jin先生と初めてのイベント共演

最初は「テンション高いお姉ちゃんたちが肌を露出して、羽根背負ってチャラチャラしているようなダンスなんて絶対、無理」と拒否していたのに、まさかののめり込みよう。
サンバとの出会いは“運命”でした。

始まりは5年前。広告代理店のプランナーとして勤める傍ら、サッカーチーム「FC琉球」(現在、J3)のチアダンサーとして活動していました。ところが仕事が充実してきて、朝10時から遅い時は深夜0時をまわってからの帰宅が当たり前となり、月に1、2度は徹夜で仕事をするなど、かなりの多忙に。そこへ、チームの大事なホーム戦が重なると、コンビニのおにぎりで小腹を満たし、仕事を終えたその足で深夜0時過ぎから練習やリハーサルに汗を流す日々。貴重な土・日のお休みも、半分以上はチアの活動に捧げていたので、次第に、元気にダンスを踊るための休息も、睡眠さえも十分にとることが難しい状況に陥りました。

 「心は懸命に躍っていても体は踊れていない」。歯がゆい毎日で、結局、仕事とダンスを両立できず、2008年にチアダンサーの引退を決意しました。

ここからは心機一転!
ダンス漬けのプライベートから解放され、もっと時間をゆったり過ごそう! と胸を躍らせていました。しかし、あれ? 何だか変。心にぽっかり穴が…。これまで断ってしまうことが多かった友人達との遠出ドライブ、カフェ巡り、アフターファイブの飲み会への参加(コンパも含む)など、他の楽しみで取り繕ってみても、心が完全に満たされない。むしろ穴は、日に日に大きくなっていくのです。

振り返ると、幼い頃からバレエを学び、ヒップホップ、ジャズダンスも自然と身につけていました。社会人になってからは、ストリートダンスを本格的に始め、チアダンサー、テレビCMの振付、バックダンサー…。全国放送のテレビに出演したことも! いつしか「セミプロ」と言われるようになっていました。

しまいには、ダンスを奪われたことが原因(自分で奪ったくせに)で? 風邪をこじらせたかと思うと、人生初の肺炎に。さらには咳のし過ぎで肋間神経痛にまで…。痛みでピクリとも動けないといった状態が1カ月も続いてしまいました。ダンスをしていたころは、休息も睡眠も奪われてもこんなこと無かったのに。今思えば、本当にこの時が私の人生の深い深い谷。どん底状態に陥っていました。