沖縄ラジオ界で“月曜から金曜の午後2時”といえば、激戦の時間帯として有名だが、その修羅場にあえて飛び込んで行ったちょっと風変わりな番組。それが今年で11年目を迎えた、RBCiラジオ「漢那邦洋のスポーツフォーカル」
(http://www.rbc.co.jp/riradioprog.php?catid=106&blogid=59)。AM・FM問わず、スポーツ情報メインのラジオ番組は全国でもかなり珍しい(らしい)。
 私も東京のラジオ局で働いていた時は、いわゆるナイターオフシーズンは、プロ野球の話題を中心にした番組を担当していたが、地方局では稀有な存在で、手を替え品を変え、リスナーからのメールに支えられながら、多彩なゲストやメインMC漢那邦洋への無茶ぶりもあって、なんとか11年やってきた。そんなスポーツフォーカルで、リスナーさんからよく質問されるのが、「あのプロレスって本当にやってるの?」。
 「あのプロレス」とは、「格闘木曜日」と題して、漢那と私が“スタジオで”プロレスごっこをする変なコーナー。一部の関係者から、お前ら何やってんだ!というお小言を頂いたので2~3週は“休んだふり“をして凌ぎ、しれーっと9年間くらいふざけ続けている“中学校の休み時間に教室の後ろの方でやっていたような”プロレス技・掛け合いコーナーである。いや、掛け合いではない! 断じてない! MCの漢那が一方的に私に技を掛けて、私が悲鳴をあげて耐えるという世にも不思議なコーナーだ。(どこの世界にMCが番組ディレクターにプロレス技を掛けて、それを生放送するラジオ番組があろうか?)
 ラジオといえば音だけの世界。本当に技を掛けてるんだ!と証明したくて、頭突きや脳天唐竹割りをやって、「ゴフッ」というおぞましい衝撃音を流したことも数回ある。一応今までケガはないが、攻撃しているはずの漢那が、頭や手を傷めるという、トホホな週もあった。何故こんなおバカなことをやり続けているかと言えば、ただ「プロレスが好き!」だから。しかも沖縄にはプロレス好きが多い。だから笑ってくれるリスナーもいる。沖縄には新日も全日も毎年興行に来るし、沖縄プロレスは消滅したが、琉球ドラゴンプロレスリングは、嘉手納で毎週頑張っている。大きな大会があれば、東京ドームにわざわざ見に行くマニアもいる。
 私がプロレスにハマったのは、小学生から中学生にかけての「プロレスブーム」の頃。初代タイガーマスクが颯爽と登場し、猪木が国際軍団と1対3のバトルを繰り広げ、金曜8時のテレビ中継が視聴率20%を超えるという、今では絶対信じられない時代で、プロレスを見ていない子供を探すほうが難しいくらい。休み時間になれば、教室の後ろで卍固めやコブラツイストを掛けあっていた。(いじめっこの本間君のサソリ固めがハマりすぎて息が出来なくなったのは岡部君だったなあ)。
 体育館では安全マットという夢の道具があったため、これを使って、吉村道明ばりの回転エビ固めを決め、ジャンボ鶴田ばりの七色のスープレックスを試す日々。しかし、安全マットでプロレスをやりすぎていたため、真ん中の部分の綿が凹んでいて、ブラックタイガーが得意だったツームストン・パイルドライバーが脳天に直で決まってしまい、ピヨピヨピヨ・・・と小鳥が頭の周りを回ったこともあった。
 もちろん、”ごっこ”ばかりしていた訳ではなく雑誌でプロレスの勉強もしていた。月刊プロレス、週刊プロレス、週刊ゴングをはじめ、国鉄千葉駅のキヨスクまで週刊ファイトも買いに行っていた。当時、自分の部屋のあらゆる面に付録のレスラーポスターを張りまくっていたが、今考えれば上半身裸の男のポスターに囲まれて寝起きするという、ちょっとおぞましい状況ではあった。
 中学生時代は、家にビデオデッキが無く、テレビのイヤホンジャックとラジカセのイヤホンジャックをつなぐ、ミニプラグケーブルを買ってきて、日テレの倉持アナやテレ朝の古館アナのありがたい実況を録音して保存もしていた。今でも千葉県の実家には「猪木対国際軍団」の熱いバトルの「音」が残っている(はずだ)。