これまでの3回の記事では、総論としての「ひきこもり」問題を書いた。今回のコラムでは、「NPO法人ちゅらゆい」が実施している事業から、この問題に触れてみたいと思う。

 昨年の7月に那覇市から受託した不登校支援事業は、那覇市在住の不登校の中学生のうち、支援が必要であると行政が認めた生徒に対して、ちゅらゆいが運営する居場所に通ってもらうという内容だ。不登校支援における「居場所」とは、1990年頃から民間が主となって、「フリースクール」や「フリースペース」の名称で展開された支援である。学校に行けず家庭で孤立している生徒が居場所に通い、様々な活動を通して元気を回復していくというものだ。

 ちゅらゆいの居場所は昨年7月22日に開所し、現在14人の生徒が登録し支援を受けている。この事業の素晴らしい点は、委託事業者の那覇市の姿勢にある。市職員が、孤立状態にある生徒宅へ何度も訪問し、しっかりと信頼関係を作る。学校との調整もすべて市職員が行い、居場所につないだ後も連携していく。一人ひとりの生徒をこれほど丁寧に行政と民間が支えていく事業は、全国的に見てもないのではないだろうか。居場所の名前は「Kukulu」である。由来は沖縄の方言で「心(こころ)=くくる」。これも市職員で考えてくださった。

 Kukuluのコンセプトは3つ。
(1)「安心できる居場所」
(2)「人と交流できる居場所」
(3)「社会へと送り出す居場所」
これらのコンセプトは私が青少年支援でこだわってきた3つのキーワードに沿うものである。

 まず(1)は「安心できる居場所」については、生徒の多くが「将来どうするの?」「今のままでは駄目だ」と言われたことがある、または周りに言われずとも自問自答しているテーマに関わりがある。今の日本社会において、学歴を持たないことは大きなハンデキャップとなる。大卒ニートが8万人いる時代に、中学にも登校できない状態で、自分の将来に展望が持てるほど精神の強い人間はいないだろう。中学生の年齢になれば、そのことに対する重圧は十分に感じることができるし、またその重圧と向き合いながらも、どうすることもできずに孤立することは、精神的に辛いだろうと容易に想像できる。

 不登校の評価として本人が「怠けている」とみる人もいるが、私はそうは思わない。私のこれまで支援キャリアの中で、「怠け」を理由に学校に行かなかった児童・生徒には、一人も出会ったことがない。

 Kukuluに通う児童に対して「なぜ学校にいかないの?」と問いかけると、最初は「別に…」「面倒だから…」と表現することが多い。しかし信頼関係を築き、詳細に確認していくと、「学校での対人関係の不和」「いじめ」「学校生活の悩み」「家庭での悩み」など、学校に行けない理由が必ず出てくるのだ。悩みを表現できない、または表現が苦手であるために「別に…」「面倒だから…」と言っているだけで、理由もなく今の日本社会で不利な選択をする生徒はいない。それに対して真剣に耳を傾け、一緒に課題を解決していくことが、大人の役割として強く必要とされている。そして「安心」が保障されたときに初めて、生徒たちはKukuluにも通ってきてくれるのだ。