「電子書籍元年」という、これまで何度か繰り返されてきた言葉がある。海外に比べると日本のユーザー数はまだ少ないと言われているが、大手出版社で本と電子書籍を同時刊行したり、個人などで自身の作品を電子上で発行するケースも爆発的に増加していたりと、電子書籍についての話題を目にする機会が増えてきた。私は〈紙の本〉の編集者だが、電子書籍、紙の本、それぞれに特徴があり、それぞれに代え難いメリットがあることを日々実感している。両者の違いについて考えることが両者の未来を考えることになるのではないか。そういうつもりで本稿を書いてみたい。
 以下は私個人の思うところであり、ボーダーインクとしての見解ではなく、当然ながら出版界全体の見解でもないことをはじめにお断りしておく。また、さまざまな固有名詞があるが、本稿では「電子書籍」と「本」(もしくは〈紙の本〉)という言葉を使用する。
 ここに『本の逆襲』というタイトルの本がある。著者は内沼晋太郎さん。ブック・コーディネイター/クリエイティブ・ディレクターとして、「本と人との出会いを作る、そのあいだにあるものをコーディネイトする」(本文より)ために、本に関するさまざまな取り組みを行っている方だ。最近では「numabooks」という屋号で、ビールが飲めて毎日イベントを開催する書店「B&B」をオープンさせるなど話題を呼んでいる。
 内沼さんは著書の中で、「本」について興味深いことを書いている。長くなるが引用したい。
 「印刷技術が生まれて複製可能になり、手書きの必要はなくなりました。その後デジタル技術が生まれて、印刷の必要がなくなったと同時に、冊子ではなくまるで石板や樹の皮のような、一枚のタブレット状にまた戻ったのが現代である、とも言えるでしょう。手書きのものが冊子となり、やがて印刷され、そしてデジタルになったこれらすべてを、広義の本であると考えてみます。するとたとえば、企業が作る商品のカタログやパンフレットも、本だと言えるでしょう。それをデジタル化した、商品のウェブサイトさえ、iPadで見たら一緒ですから、本でないとは言えません。博物館に収蔵されている写本が本であるならば、現代に生きるぼくたちが文庫本サイズのノートに手書きで書いた小説も、本だということになります。Evernote上にある書きかけの論文でさえ、本ということになる。電子書籍だけでなく、電子辞書も本です。『タウンページ』が本なら、携帯電話に登録した電話帳さえも本です。スマートフォン版の写真集が本なら、撮った写真をプレビューしているデジタルカメラの画面だって本でしょう」(『本の逆襲』P42~43)
 さらに、すべてのゲームソフト、青空文庫が読めるニンテンドーDS、実際に書籍化されたこともあるブログや「2ちゃんねる」のスレッド、Twitterのつぶやき、トークショーやニコ生の中継、飲み会で話している内容……。これらを作る仕事は広義の「本の仕事」で、本の定義や自分の領域にとらわれず、こうした仕事を臨機応変にやっていくことで本の未来が広がっていく、と文章は続いていく。
 刺激的で興味深い一冊で、本稿を書く上でたいへん役立った。興味の湧いた方はぜひ同書を読んでいただきたい。

「拡散」


 そういうことを踏まえて話を戻し、電子書籍と〈紙の本〉、両者の違いを読み解いていくために、「拡散」と「集中」というキーワードを据えてみたい。
 電子書籍(をはじめとするインターネットデバイスでの読書)は、「拡散のメディア」という性質を内包している。ある電子書籍を例に取ると、本文中の至るところにリンクが張られ、クリックすると解説や新たなページへと移動する仕組みになっている。画面に触れて拡大すれば、これまで見えていなかった新たな情報が見えるようになり、さらに本文の周囲を広告が取り囲んでいることもある。情報は無限のように次へと広がり、読み手は情報をどんどん移動しながら読書を楽しむ。とても刺激的で楽しく、私自身、時間を忘れて読みふけってしまうこともしばしばだ。TwitterやFacebook等における「リツイート」や「シェア」といった行為も「拡散」というキーワードにあてはめることができるだろう。
 (余談だが、ニコラス・G・カーは著書の中で、インターネットを「気が散り続けるメディア」というように定義づけていた。「インターネットメディアを当たり前に使う日常の中で、脳は気が散りやすくなるように変化している」というような記述には、私自身に思い当たるふしがあったためにギョッとした記憶がある)