お待たせしました。前回の続きです。
 かなり間があいてしまいましたが、「名護市長選」の持つ意味合いは、1カ月経った今も、色あせるどころかますます重みを増しています。名護市長選で示された「辺野古新基地阻止」の民意を無視するかのような政府の横暴な態度は目に余ります。一方、それに対する稲嶺進市長の毅然とした発言と行動には力強いものがあります。
 勘のいい読者はお気づきかもしれませんが、わたしがこの「タイムス×クロス」の1回目のタイトルで「辺野古新基地反対」の民意と書き、2回目では「辺野古新基地阻止」と書き換えました。もちろん意味があります。「オール沖縄」を改めて強調していることにも、やはり意味があります。
 読み進めていただくうちに、その意味にも納得いただけるものと思います。
 多くの心ある県民同様に、わたしもこの2014年という年を、沖縄にとって極めて重要な年と捉えています。その年の重大な事実の流れを、当欄でわたしなりの記録の仕方ができればよいと考えています。引き続きお付き合い下さい。
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 改めて振り返ろう。
 暮れの仲井真弘多知事の「辺野古埋め立て承認」が、罪深い大きな「事件」であったことは言うまでもない。これをもって、「オール沖縄」の民意は崩れてしまったと嘆く人もいる。
 しかし今までたくさんの人が汗をかいて築き上げてきた「オール沖縄」の「辺野古移設反対」の民意が、政府の圧力を受けて壊れてしまったと言わざるを得ないような知事の裏切り行為ごときで、簡単に崩れてしまうものだろうか。
 結論から言えば、否である。
 知事や自民党県連に属する国会議員や県議会議員たちの「公約破り」は、じつは自民党支持層のなかにさえ、大きな疑問と反発を生じさせているのが本当のところであろう。
 県政与党の公明党支持者に至っては、「辺野古容認」「辺野古推進」の姿勢は、自分たちのそれとはまったく相容れないものだと考える人が多いことをわたしも知っている。
 そこで再びクローズアップすべきは、昨年1月27日、28日の東京行動だ。
 27日には、県内全市町村の代表や県議会全会派が参加して日比谷公園野外音楽堂で「オスプレイ配備撤回と普天間基地の閉鎖・撤去、そして県内移設断念」を求める集会を開き、都心部の大通りをパレードした。
 そのとき、この沖縄の真っ当な民意に従って行動する代表団に対して、沿道で日の丸と旭日旗を振り回しながら、「売国奴」「日本から出て行け」などとヘイトスピーチを繰り広げる集団があった。その集団には、先の都知事選挙に石原慎太郎元知事らの応援を受けて立候補し、なぜか60万票を超える4位の票を得てしまった田母神俊雄氏(元自衛隊航空幕僚長)の姿もあった(パレードに参加した複数の知人が目撃している)。
 このことは余談といえば余談ではあるし、あまり相手にしないほうがよいという意見も聞こえてくるのだが、しかし、そのヘイトスピーチの「暴力」にさらされて、見る見る顔をこわばらせ、怒りの感情を必死で押し殺しているような翁長雄志那覇市長、當眞淳宜野座村長ら保守系首長の姿を、沖縄のローカルニュースがクローズアップで映し出していたので、わたしの脳裡にはこの事実が強く残ってしまった次第である。
 これがいわゆる「本土」の側の沖縄に対する差別意識が現れた象徴的な場面だといえば、多くの良識あるヤマトゥンチュは怒るだろう。しかしあのパレードに参加した人たちの悔しさと怒りは、沖縄県民として我が事として、あまりにもリアルに感じ取れる。ヤマトからの移住者県民としては、このようなヘイトスピーチ集団を野放しにして許し続けている「美しい国」の姿を、心底恥ずかしいと思う。
 翌28日には、全市町村長、全市町村議会議長、県議会議長らが署名した「建白書」を、複数のグループに分かれた代表団が政府の関係大臣に届けた。
 安倍晋三首相に直接手渡したのは、実行委員会の共同代表を務める翁長那覇市長だった。
 全41市町村の代表が署名して、政府に突き付けた建白書が求めているのは、二つのことだ。
一つは、普天間基地の閉鎖・撤去と県内移設の断念。
もう一つは、オスプレイの配備撤回とさらなる配備計画の撤回。
 これが明確な「オール沖縄」の民意として、政府に突き付けられたのである。
 遠い昔の話ではない。たった1年前の話だ。