幼稚園を卒園するときの私の将来の夢は、本屋さんになることでした。なにを思って、本屋さんになりたかったのか、今はもう覚えていません。
 ただ単純に、本屋さんになったら本が好きなだけ読めると思っていたのかもしれません。
 そして、大学を卒業した私は、本屋さんになりました。
 本屋さんは本屋さんでも、それは、本を作る出版社でした。

 子どもの活字離れ、いや、大人の活字離れもニュースになる時代になった。けれども、不思議だ。こんなに世の中にあふれている活字なのに。
 チラシ、メニュー、スーパーで物を買うときに見る活字。
 新聞をとっている人たちは、毎日活字を目にする。郵便受けに入っているのは活字が印刷された広告。もあいで居酒屋に行ったら、メニューを見る。これも活字。スーパーで何かを買うときに見るのも活字。
 今生きている限り、活字離れはできない状況にあるのに、活字離れが問題になっている。
 つまり、書籍を読まないということだけが活字離れとして、問題視されているのだろう。マンガはどうなのか、週刊誌はどうなのか。

 私は、活字離れと言われる中でも、子どもたちの活字離れ、いや、子どもの本離れについて考えていきたい。

 私が幼かった頃、遊ぶと言えば、野山を駆けまわる、花を摘んでままごとをする、そして子どもの本を読む、塗り絵をする、そのくらいしかなかった。
 今のように家庭用ゲームもなかったし、携帯電話やパソコンなど想像もできなかったものだ。ゲームセンターもなかった。テレビも楽しくなかった。だいたい私の生まれたところは、NHK・NHK教育テレビ・民放の3局しかなかったのだ。

 必然的に本を読むようになった。しかし、これには理由がある。私は母と祖母と兄と暮らしていた。父は単身赴任で一緒に暮らした記憶があまりない。その母は、仕事を持っていながらも、毎晩子どもの本を読んでくれた。そして自分で作った話も聞かせてくれた。教員という職業柄か、話がとてもうまかった。
 悲しい話のとき、私はワーワーと泣いた。『マッチ売りの少女』を聞かされたときには、あまりに大声で泣き、家族をびっくりさせてしまった。
 楽しい話のときは、もう一度もう一度と何度も同じ話をねだった。おそらく私の田舎に語り継がれている昔話だったのだろうが、母は嫌がることなくすらすらと何度も話を聞かせてくれた。
 私が4歳くらいの頃のことだ。今でも、話の内容を覚えている。話してみろと言われたら、話ができる。忙しくて疲れているはずなのに、母はそのくらい毎晩私に本を読んで聞かせ、自分で作った話を聞かせてくれた。