特定秘密保護法の制定の背景には「米国の要請」という側面がある。

具体的には、2007年に日米が締結した「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA=ジーソミア)が根拠となる。

この中で、米国は日本側に提供した機密情報に「米国と同等の保護」を求めた。これに応じて整備する国内法が、特定秘密保護法という位置づけである。

日米の軍事一体化を進めるには、米国の軍事情報を詳細かつスムーズに得なければならない。このため、日本でも防衛・外交などに関する情報管理の徹底を図る必要がある、というのだ。

だが、それが本当に国民の利益や幸福につながるのか。

国家間の軍事連携強化を優先するあまり、国民生活に直結する情報すら覆い隠し、著しい人権侵害を招く実態が、沖縄では浮き彫りになっている。

米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの沖縄配備をめぐる対応を振り返れば、日本の官僚や政治家が何を優先しているのかが手に取るようにわかる。

問題は、米側から得た情報をどう活用するのか、という日本側の政策運用面にある。日本政府は安全保障政策の現場で何を行ってきたのか。情報統制強化の目的が必ずしも「国民のため」ではないことを検証する。

オスプレイ配備


普天間飛行場へのオスプレイ配備構想が初めて表面化したのは、1987年5月にさかのぼる。
同飛行場などに所属するCH46中型輸送ヘリの後継機として、米海兵隊がオスプレイの導入を検討していることが、在沖米海兵隊機関紙「オキナワ・マリン」の報道で判明した。
それを同5月30日付で沖縄タイムスが報じた際、在沖米海兵隊報道部は「米本国から配備が始まり、沖縄は最後になる」とコメントした。 配備時期については明言を避けつつも、沖縄配備構想を認めているのだ。
96年12月の日米特別行動委員会(SACO)最終報告の草案段階(同年11月)でも、「ヘリコプターとオスプレイ部隊を配置する」とオスプレイの普天間代替施設への配備が盛り込まれた。
最終的には日本政府の反対で削除されたが、オスプレイの沖縄配備は96年当時から日米間で「既定路線」だったことが裏付けられている。
SACOは、95年に沖縄で起きた少女暴行事件を機に日米両政府が設置。普天間を含む沖縄の基地負担軽減を議論した。
SACO最終報告が間近に迫った96年11月26日。東京で行われた在日米軍、外務省、防衛庁(当時)の協議を記録した米側文書も、オスプレイに言及している。
この議事録には、在日米軍高官のコメントとして「日本政府はまだ、オスプレイの駐機を発表していない。在日米軍は早急に公表されることを望む」と記載され、日本政府の隠ぺい体質を嘆くくだりがある。
この文書は、名護市辺野古海域への普天間飛行場移設をめぐって、日米の環境保護団体などが米国で米国防総省を相手取り、「ジュゴンの保護策が示されていない」ことなどを理由に工事差し止めを求めた「ジュゴン訴訟」で、米政府が提出して明らかになったものだ。
日本政府はなぜ配備の公表を拒んできたのか。
開発段階から深刻な事故が多発したオスプレイ配備には、普天間飛行場を抱える宜野湾市や、移設先とされる名護市の市長も反対の意向を示してきた。
こうした中、配備を認めれば住民の反発が高まるのは必至だった。が、情報の隠ぺいと問題の先送りが、住民の「政府不信」を増幅させる結果を招く。
従来の輸送ヘリとはまったく異なるシステムと機能を備えたオスプレイの配備は、単なる「使用機種の変更」にとどまらない。オスプレイ配備が前提となれば、国が実施してきた普天間代替施設の環境影響評価(アセスメント)手続きの有効性も問われ、根幹が揺らぐことになる。
こうなると、「嘘に嘘を塗り固めていく」しか手だてがなくなる。
米側はその後も、第3海兵遠征軍副司令官や、海兵隊総司令官の発言、さらには米海兵隊航空計画などで、具体的な時期を含めた配備計画を公に発信し続けた。
沖縄の米軍第3海兵遠征軍のジョン・カステロー副司令官は99年1月、オスプレイについて「現在の予定では2007―08年に沖縄に配備される」と述べた。
2000年9月には、米海兵隊トップのジェームス・ジョーンズ総司令官が、沖縄タイムスのインタビューに、沖縄へのオスプレイ配備を既定路線と位置づけた上で、「海兵隊の近代化の観点から重要で、現行のヘリに比べ騒音を軽減できる」と述べ、意義を強調している。
にもかかわらず、日本の関係閣僚は沖縄配備に関する質問を受けるたび、木で鼻をくくったような国会答弁に終始してきた。