共に米軍関係者と結婚し、ロサンゼルス郊外のオレンジ郡でそれぞれの家庭を築く、ギザラ勤子(いそこ)さん(58)とブデイ博美さん(56)は、沖縄出身の実の姉妹だ。

ロサンゼルス郊外アナハイムの琉球舞踊の教室の前で笑顔を見せる勤子さん(左)と博美さん

 生涯の伴侶との出会いは妹の博美さんの方が早かった。短大に通っていた20歳の時、普天間飛行場近くのロックバーで偶然、将来の夫になるスティーブさんと出会った。彼の優しさに引かれ、次第に結婚を意識するようになったが、母親に反対された。父親は既に亡くなっていた。

 博美さんは「父が生きていたら、アメリカ人との結婚を許してくれなかったと思う。母は相手が軍人だからという理由ではなく、私が結婚で遠くに行くことに反対していた」と振り返る。だが祖母が「海外に出て家族を作れば、一族が世界中に広がる。とても喜ばしいことだ」と博美さんの結婚を後押ししてくれた。母もその祖母に負けて、最終的に許してくれたと語る。

 沖縄で結婚し娘を出産後、夫婦はアメリカに渡った。夫の赴任先について行き、オハイオ、サウスカロライナ、カリフォルニアと転々。一度沖縄に戻ったが、再びカリフォルニアへと渡った。スティーブさんは戦闘機を管制するエアトラフィック・コントローラーを経て、そのコントローラーを訓練するトレーナーを育てる「マスター・トレーナー」にまでなった。

 若くして結婚した博美さんとスティーブさんは、子育てしながら大学に通った。現在、博美さんは歯のインプラントの専門企業で働いている。スティーブさんも退役後、機械設備の技術的なマニュアルを作成するライターに転身した。

 一方の姉の勤子さんも、普天間飛行場でヘリコプターのパイロットとして勤務していたレイモンドさんと出会い、日米間の遠距離恋愛を経て結婚した。結婚の際は、妹の時と同様に祖母が積極的に勧めてくれたという。退役したレイモンドさんはIT系企業に勤務、勤子さんも高校のカフェテリアや日本食レストランで働きながら、引退後は夫婦で沖縄に移住することを夢見ているという。

 現在は3人の子の母となった博美さんと、2人の娘の母となった勤子さんは、共に普段は忙しく過ごしながら、日曜には琉球舞踊の教室で顔を合わせる。踊りを始めて4年。沖縄では、お祝いがあると家族で互いに芸能を披露する風習があることから「姉と沖縄に帰省した時に、何か一曲、皆の前で踊れればと、琉球舞踊の先生を探し、素晴らしい方に出会った。2、3カ月だけのつもりが、すっかり魅了され、やめられなくなった」と博美さんは笑顔で語った。(ロサンゼルス通信員 福田恵子)