〈命かぎりの頬ずりをする〉という江戸中期の古川柳がある。作家の田辺聖子さんの古川柳選集「武玉川(むたまがわ)・とくとく清水」(岩波新書)に収められている一句である

▼捨て子だろうか、あるいは里子か。人には言えない事情で泣く泣くわが子を手放す母親の心情を詠んだものだという。わが子のぬくもりを唯一の形見にする切ない思いが伝わってくる

▼その「母親」は、どんな気持ちでわが子を手放したのだろうか。那覇市内の路上のベンチに、生後間もない男児が置き去りにされていたとの記事(3日付本紙)を読み思った。続報では、男児は本島南部の病院で元気だというが、母親とはまだ会えていない

▼置き去り当時、男児は生後1~2日とみられる。わずかな親子の時間で、母親はどんな言葉をわが子に掛けたのだろう。「ごめんね」か、あるいは「元気でね」だろうか

▼どんな事情があるにせよ、わが子を捨てるのは身勝手だと思う。でも、手放すことでしか救えない「小さな命」だったのかもと思うと考え込んでしまう

▼詩人の川崎洋さんの「こどもの詩」(文春新書)に、3歳の男の子のほほ笑ましい作品がある。「あのねママ/ボクどうして生まれてきたのかしってる?/ボクねママにあいたくて/うまれてきたんだよ」。母親の帰りを待つ男児の心の声にも聞こえる。(稲嶺幸弘)