永六輔さん死去の一報に、沖縄県内のゆかりの人々は温厚で他人の幸せを喜ぶ永さんの人柄をしのび、その死を悼んだ。永さんは那覇市にあった小劇場「沖縄ジァンジァン」にたびたび出演し、小気味よいトークで観客を魅了。ラジオ出演や講演などでも沖縄を訪れ、幅広い交流を持った。

タイムス女性倶楽部で講演する永六輔さん=2003年7月27日、かりゆしアーバンリゾート那覇

 「六輔・ここが地球の真ん中」などのラジオ番組で長年パートナーを務めた琉球放送の比嘉京子執行役員は「気さくで自然体、物知りで情け深い方だった」と振り返り「話をするにはいろんな引き出しが必要で、それがいくつあるかで深みが決まる。放送を届けた先の人の営みに興味を持ちなさい、と教えられた」としのんだ。

 永さんがラジオで「自分に志がないなら、他人の志を自分のものにしてもいい」と話すのを若い頃に聞いたという佐喜眞美術館=宜野湾市=の佐喜眞道夫館長は1994年、丸木位里・俊夫妻の「沖縄戦の図」を展示するため同館をオープンした。「丸木さんの志を、自分のものにしようと思った」。永さんの言葉が後押しとなった。

 永さんは、米軍のオスプレイ配備撤回と普天間飛行場の県内移設断念を求めた建白書に賛同していた。呼び掛け人の一人、屋富祖建樹元琉球大学教授は「自筆のはがきを頂いた。うれしかった」と思い出す。

 八重山民謡歌手の大工哲弘さんは「他人の幸せを喜ぶ人だった。沖縄を全国に発信する力は大きかった。尊敬している」と語り「かわいがっていただいた。安らかにお休みください」と冥福を祈った。