【沖縄・大宜味村】かつて塩屋湾を走り、宮城区や白浜区を結んだ渡し船ティンマ(伝馬船)が3日、白浜区の「キャンドルナイト」まつり会場で55年ぶりに復活した。白浜区公民館に保管されていた、ティンマの様子を撮影したモノクロ写真を再現。写真に写っていた本人も撮影協力し、当時を懐かしんだ。

およそ55年前の様子を再現し笑顔を見せる宮城村長(左)と親川区長=大宜味村

かつて塩屋湾を渡り人や物資を運んでいた渡し船「ティンマ」の様子。学生服姿は宮城村長=1961年ごろ

およそ55年前の様子を再現し笑顔を見せる宮城村長(左)と親川区長=大宜味村 かつて塩屋湾を渡り人や物資を運んでいた渡し船「ティンマ」の様子。学生服姿は宮城村長=1961年ごろ

 白浜区はかつて「渡野喜屋」と呼ばれ、名護からのバスの終点だった。塩屋-白浜間に物資運搬や人員輸送をするティンマと呼ばれる渡し船が1963年まで人々の足として活躍していたが、塩屋大橋の開通で役目を終えた。

 モノクロ写真は61年ごろの風景。船尾に乗っている学生服姿の少年は、現国頭村長の宮城久和さん(72)だ。写真を見て「辺土名高校2年か3年の頃かな。塩屋から宮城に向かうティンマで、船頭は白浜区の宮平繁さん。40代だったと思います」と懐かしげに話す。

 当時を知る塩屋の宮城光則さん(88)によると、ティンマは2隻あり、長さは5メートルほど。多いときは14~15人が乗ったという。

 「農業する人は無料だが、きれいな服装の人は船賃を払っていたと思う。船頭は塩屋と白浜にそれぞれ3人いたよ。宮平さんは最後の船頭だった」と宮城さん。

 写真のことを知った白浜区の親川富成区長が宮城村長に打診。宮城村長は3日のまつり会場で、写真の通り、船尾に座って片足を水面に伸ばし、当時を再現した。船頭は今は亡き宮平さんに代わり、親川区長が麦わら帽子をかぶり、櫂(かい)を握った。

 宮城村長は「中学2年から高校3年まで塩屋にいた。まるでタイムスリップしたようで、本当にうれしい」と感慨深げ。

 親川区長は「村内から来るミニデイのおばあちゃんの一人が、ティンマを懐かしそうに話してたのを聞き、再現しようと思った。伝馬船は友人から借りた。白浜の歴史の一ページが生で見られ、多くの皆さんに感謝します」と喜んだ。(玉城学通信員)