2001年の米同時多発テロ事件から生じたPTSDの問題は、波紋の様に続いている。その翌年、FBI(米国連邦捜査局)や救急医療スタッフ対象のセミナー専門家が私の勤務先にもやって来た。セミナーでは、特に自殺未遂などの事件現場でカウンセリングを長年続けていると起こり得る「セカンダリー(Secondary)PTSD=二次的PTSD」と称される症状について指摘。専門家の定期的なカタルシスの重要性を強調していた。客観性を失って患者の問題に巻き込まれ、「Burnout(燃え尽き)」状態になりやすい環境にある職業だからだ。

14歳の孫娘、ケイラのスケッチ。テーマは「Safe、 Strong、 Free!」安心・自信・自由に生きる権利の養成教育を小学生の頃受けています

 児童が事故やDVを目撃したり、虐待などの体験を重ねると、大人より後遺症状が多様な形で表面化しやすい。中にはAD(H)Dや適応障害、気分や不安障害に当てはまるケースもある。それらはPTSD症候群ではないかと、勤務を続ける中で意識する様になった。さらに心の病に悩む児童青少年らと接していれば、こちらにも何らかの結果が出るのは自然だ。段階の相違はあれど誰にでも感受性がある。同僚たちとよく、そのことを課題にした。

 私の3人の子どもたちが中高生だったころ、勤務時間と調整しながら単位稼ぎのために家の近くにあったCAP(児童虐待防止運動)本部でアルバイトした事がある。CAPが掲げる基本原則「Safe、Strong、 Free(安全・強さ・自由)」の標語は、一般に基本的な人権教育、特に児童対象にエンパワー(Empower)して自尊感情を高めるのが目的で、私自身も一緒に強化された。10年後の1996年、県内の「てぃるる女性総合センター」でCAPを沖縄に紹介した。動機は95年の米兵による暴行事件がきっかけである。

 私自身の「セカンダリーPTSD」の予防に大きな役割を果たしたのもCAPだ。機転が早く、活発な米国の子どもたちと接する際は、私は自己エンパワーメントがなければ対応するのは不可能だっただろう。それは自分が泳げない場合や救命道具がない場合に人を助けることが難しいのと似ている。自己エンパワーメントと自立心は比例する。だからこそ「Safe、Strong、Free」と正々堂々と生きられるのだと思う。

 心理的な防衛機制は誰もが体験する心の動きだ。沖縄戦、そして終戦後も強いられているさまざまな負担の現実は、沖縄の物質的な生活水準がいくら向上しても、基本的人権はどうだろうかと懸念せざるを得ない。島全体がPTSD症状に陥っても仕方のない沖縄が「安心して(強く)自信を持ち、自由になる」日を生きているうちにみたい。(てい子与那覇トゥーシー通信員)