国頭村辺野喜での旧日本軍ゼロ戦墜落の情報提供を呼び掛けていた村史編纂(へんさん)室に、村民から「比地の山中でも日本軍機の墜落があった」と別機体の墜落情報が寄せられた。編纂室の宮城樹正副委員長らが7月4日、村比地の山川正行さん(87)を訪ね、当時の状況を確認した。

松に引っ掛かって比地川に墜落したと語る(左から)山川正行さん、山川明比地区長、宮城樹正副委員長=国頭村・比地川のキャンプ場

 6月11日付本紙を読んだ大嶺吉秀さん(84)=村鏡地=が6月下旬に情報提供した。

 山川さんらによると、1945年3月ごろ、夕方に戦闘機1機が奥間ターブク上空を旋回し、比地山の山頂の松に引っ掛かり、比地川に墜落したという。敵機と思った区民らが竹やりを準備して現地に向かおうとしている時、旧日本軍機と判明。竹やりを置いて救援に向かった。操縦兵は即死、通信兵は座席ごと機体から飛ばされて生きていた。

 通信兵は、日露戦争で従軍して「山川軍曹」と呼ばれ、親しまれていた山川さんの祖父・久元さんの自宅で看護を受けて、翌日に帰隊した。

 飛行機は車輪を運ぶため、本土から読谷飛行場に向けて飛んでいたといい、山川さんは「夕暮れでターブクを飛行場と間違えて旋回し、墜落した。2人は新米の青年兵士だった」と当時を振り返った。(山城正二通信員)