江藤淳が、小林秀雄を論じていくにあたって発した「人は何を代償として批評家になるのであろうか」という言葉に触発されるとともに、吉本隆明の『言語にとって美とは何か』の一節に見られる「個人の存在の根拠」についての考察を導きの糸にして、否応(いやおう)なく作家にならざるを得なかった島尾敏雄の生の軌跡の全貌に迫った論考である。

言視舎・3780円/ひが・かつお 1944年久志村(現名護市)生まれ。沖縄大中退。在学中に「発想」を創刊し7号まで編集に携わる。72年個人誌「脈」を創刊。著書に詩画集「流され王」など

 江藤といい、小林そして吉本といった一世を風靡(ふうび)した批評家、思想家が、1960年代に文学に目覚めた青少年たちに与えた影響の大きさは計り知れないものがある。比嘉加津夫もまた彼らから多くを学んだに違いない一人であろうが、大切なのはそのことではなく、60年代に彼らに触発され、文学を知り、出合った島尾の作品と、半世紀もの対話を続けてきたという点にある。その持続は驚くべきことであろう。

 島尾の作品世界は、比嘉の論考にみられる用語を使わせてもらえば「夢小説」「病妻もの」「紀行・日記文学」そして「戦時中もの」といった系列に分類される。比嘉は、それぞれの系列の作品について触れているが、作品を論じているわけではない。いわゆる作品論を展開したのではなく、作品以前の作家の気質・心緒の機微に視点を据えていたのである。

 そのための方法として、島尾が自作との関わりを記したエッセーを用いただけでなく、島尾の周辺にいた同時代の作家たち、いわゆる「第三の新人」と称された作家たちの見た島尾に関するエッセーを援用し、島尾が作家になるべくしてなっていった「宿命」ともいうべきものを、克明に紡ぎだしていく。島尾の現実との「違和」を、洗い出していく。

 島尾は、デラシネであった。それが、カフカや宮沢賢治に対する憧憬(しょうけい)ともいえる感情を島尾に抱かせた由縁だろうが、島尾が、単なる故郷喪失者にならなかったのは、祖母から聞いた東北の民話が、心の奥底に珠玉のように秘められていたからに違いない。

 そのような悲愁に満ちた島尾敏雄の感受を、比嘉加津夫は、半世紀かけて掘り出して見せたといっていいだろう。(仲程昌徳・元琉球大教授)