腎臓の働きが廃絶すると、血液透析、腹膜透析、腎移植のいずれかを行わなければ死に至ることになります。現在わが国では約32万人もの方々が透析を受けています。沖縄県の透析患者は約4400人です。もっとも望ましい治療法は腎移植ですが、昨年沖縄県では身内からの生体腎移植が27例に実施され、死後に提供された献腎移植は4例に過ぎません。この4例には県外からの提供が含まれます。日本全体でも献腎移植は極めて少ないのが現状です。

 2013年の世界の腎移植事情をみますと、人口100万に対する比率(生体腎を含む)は、クロアチア59、メキシコ58、オランダ56、米国56、スペイン54、韓国34、日本が13です。クロアチアではほぼ100%が献腎移植ですが、日本では13例中献腎移植は10%弱に過ぎません。国により事情は異なりますが、生前に臓器の提供を拒む意思表示のない限り、可能な臓器を移植に用いることを法律で定めた国もあり、これらの国々では家族の理解の上、腎臓を含むその他の臓器提供に合意されているのです。

 10年から13年までの沖縄県内4病院の調査では総死亡数3775人中113人が腎臓の提供が可能と思われました(約3・0%)。提供の意思を確認するオプションが113件中37件(32・7%)に提示され、提供に至った例は3例(6腎)でした。仮に、この113件のうち50件から腎提供が行われると100人の透析患者が救われることになります。

 移植医療と従来の医療との違いは、提供者が必要なことにあり、臓器提供がなくてはこの医療は成立しません。救急の現場では懸命な努力にもかかわらず、助けられない“その時”が突然やって来ます。このような時、医療者側にとって提供の意思を確認することさえ躊躇(ちゅうちょ)されることは理解できますが、“その時”でなくてはならないのです。理性では“死がすぐそこまで来ており、もう助からないこと”を理解していても、“諦めてはいけない、何とかならないのか、奇跡を期待したい”思いとやり場のない怒り、戸惑い、絶望とともに家族の感情は整理がつかない状態にあります。

 “その時”のために、ご家族で話し合い、それぞれの意思を確認してみませんか。「故人の腎臓がまだどこかで生き続け、人の役に立っていることは私たち遺(のこ)されたものの救いでもあります」と言う提供されたご遺族のお言葉に敬意を払いたいと思います。関心のある方は「“移植医療 臓器移植提供の真実”」(吉開俊一著、文芸社)、「(公社)日本臓器移植ネットワーク」のホームページをご覧ください。(當間茂樹 とうま内科)