元白梅学徒隊の中山きくさん(87)が、ずっと口を閉ざしていた沖縄戦の体験を語ろうと決めたのは広島、長崎の地でだ。夫の転勤で49歳から3年間、二つの被爆地で暮らした

▼原爆を学び、追悼式に参列し、被爆者と触れ合う中で危機感が募ったと「沖縄を語る-次代への証言」(28日付本紙)で述べている。「語らないと、友だちの死がなかったことにされてしまう」と

▼体験集を作ると決め、帰郷すると同級生を説得して歩いた。困難を極めたことは想像に難くない。22人の話を10年以上かけてまとめると、語り部として生きる決意を固めた

▼5月に広島を訪れたオバマ米大統領は、被爆者を前に謝罪や改悛(かいしゅん)の意思を示さなかった。その際、核兵器の「発射ボタン」を平和記念公園に持ち込んでいたと英BBC放送が報じている

▼戦争と地続きの基地問題に苦しむ沖縄では辺野古、高江、伊江島で新たな基地や施設建設が強行されている。戦争や核の「狂気」が終わらないから、沖縄戦体験者や被爆者は語ることをやめない

▼中山さんの手帳には1年2カ月先の講話依頼が記されている。新たな戦争を心配する小学生の手紙には、こう返事を書いた。「戦争のない国をつくるから、今は友だちと仲良く勉強してね」。「狂気」に終止符を打つために、バトンを継がなければならない。粘り強く。(磯野直)