ニューヨーク沖縄県人会の「New York ヤカラーズ(勇士者たち)」エイサー団が10月のウチナーンチュ大会に出演する。人種、国籍、年齢などを超え、7歳男子から75歳のオバーまで老若男女問わない文字通り「チャンプルー」式で、沖縄セルラーパークで開かれる「チャンプルー交流祭」のステージと、浦添市の「国立劇場おきなわ」での「我らが住むは五大州」と題するステージイベントに出場。米国と沖縄からの友情出演も含めた28人で「ティーとウドゥイ(空手と踊り)」を披露する。

大会で披露される古典舞踊の扇と武道用の扇

 筆者が代表を務める同団体。古典舞踊、空手の型、近代風かつ伝統的な地謡たちの歌と空手、エイサーや太鼓踊りなど、あっという間の14分半だ。連帯感を胸に出演を楽しみにしているヤカラーズの躍動感が観客と共鳴できたら最高だろう。

 彼らのモットーは沖縄の伝統芸能を重んじ、ウチナーへの郷愁と志を表現すること。ステージを通して県内外のウチナーンチュや親戚、友人たちとモットーを分かち合えれば、それこそケーキの上のアイスニング、つまり大きな「おまけ」になるはず。沖縄のステージで武道とウドゥイで国際交流できれば幸せだ。

 私たち母子4人と沖縄との接点は「空手」。他界した夫が沖縄空手修業者だったので、空手は身近だった。空手は沖縄を代表する伝統文化。県立武道館で開かれる空手セミナーには毎年、海外から延べ何百人という人が参加し、沖縄の各流派の所々の道場にも世界中から空手家がやって来る。私も1990年から海外通信員として、また県内とニューヨークで通訳として、空手の国際化の重要性を目撃してきた。

 それを裏付ける事実として今年4月から沖縄県庁の「文化観光スポーツ部」に「空手振興課」が設けられた。正直「It’s about time!(そろそろだよ!)」、いや遅いくらいだ、とも思った。とにかくそのニュースを耳にした時大声で「YES!」とガッツポーズで叫んだ。言うまでもなく、ウチナーンチュとしての私の誇りを増強させたのだ。

 1979年、NYに1カ月以上滞在した母が琉球古典音楽のカセットの数々を残して帰った。その古典集に「松竹梅」があった。最初の「松」の踊りの部分「揚作田」(あげちくてん)が「本歌」というのは最近になって分かった。野村流古典音楽保存会の師範、喜瀬慎仁先生から長距離電話とメールで教えてもらったのだ。

 私は勝手に「松の踊り」と呼び、通勤の往復時、NYからワシントンDCまでの長距離の車の中で繰り返し聴きながら、頭の中で型を繰り返し踊ってもいた。「情熱」と「強迫観念」は紙一重かもしれない、とはこのことを言うのだろう。(てい子与那覇トゥーシー通信員)